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You should be betterな世界

 昨日、お土産にもらった牛タンの干したのがおいしかったのですが、全然加工品っぽい味がしなくて、開けたら二日以内に食べてねと書いてあったので、胡椒と塩だけで保存したのかなと思います。加工肉、好きなのですが、ハムとかベーコンとか、おいしいものがなかなかスーパーになくて、紀伊国屋にあるかなと思って探したことがあるのですが、近所のスーパーよりなかったです(こっそり)。
 今日いままで書いてきた小説の続きをちょいちょいやったのですが、あれ、才能ないかな、と晴天のような気持ちで認識しました。いや、あると思って書いていたわけではなく、まあまあよいかもしれないな、と思っていたのですが、もうちょっとせっせとやんないと毒にも薬にもなんないな、と回心しました(簡単な回心でした)。腰を据えて取り組む重要さが、頭がやや遅い私にも理解できました。ちょっとずつしかできないのはそうそう変わらないのですが、どっしりと年月かけることの大事さを、隙間からのぞいたような気分でした。
 父親や友人と話していると、その人たちが属している世界の声を聴いているみたいな気分にたびたびなって、口を開けて生返事していると、「そんなふうだから君はさ…」と相手にイニシアチブを取られてしまい、お説教を聞いてそれなりに落ち込むことがあるのですが、だからといって、相手の話を真に受けたことはなかったです。いつも話半分だから、相手が諭したくなるのだと思います。なんか自分が言ってやらなきゃみたいな。そういう相手がいるのが私は好きだから、相手にイニシアチブを取られても、取られたままでいいのかもしれません。
 マウントをとるとか、干渉されたり、一方的に価値観を押し付けたりすることは、悪であるという風潮もあって、私もそれと無関係では生きられないのですが、マウントを取らせているほうにも、どうしようもないところはあるのかなあと、思ったことがあります。シャットアウトしてないで、そこから出てこいよ、と、単純な思いで相手はいるだけかもしれません。いわゆる、余計なお世話ってやつで、私には懐かしく、息苦しく、ちょっとだけうれしく、かなしい気持ちにさせられるものです。


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