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ぶっちゃけ文芸雑誌よりおもしろい

 
 自分の創作だけではなく、ほかの方の作品にも目が向いてきたこの頃。初めのころは自分のアカウントをどんな感じにしよう、とか読む人がどんな風に感じるのかなとか考えていましたが、それはとりあえず置いといて、カクヨムユーザーの活動に目が向くようになりました。余裕って大事です。
 カドカワのレーベルですでに出版なさっている方のアカウントが人気なのは当たり前ですが、カクヨムでたのしいのは、まったく小説を書いたことがないひとの作品の質がよくおもしろいこと。カクヨムの参加のしやすさがこういうユーザーを生み出しているのだと思います。ちょっと他ではありえないかな、と思います。
 私は新潮社から出している「新潮」という雑誌に投稿中なのですが、実は「新潮」の愛読者というわけではなく、また文芸雑誌というものの愛読者ではありませんでした。いざ投稿するか、という段階になってリサーチし始めたくらいです。アメリカ文学を中心に勉強していたこともあって、日本の現代文学?というのでしょうか、それも全然知らないで20数年生きていましたから、日本の文芸雑誌を集中的に読みだしたとき、「新潮」に連載し始めた水原希子さんのエッセイだけが一番おもしろかったんです。彼女はものすごい勢いで世界的なモデルと俳優のポジションについたのですが、エッセイを読んでみると、本人としては
ものすごい長い長い年月をかけた末の達成だったようで、その静かな透徹した思考が圧巻でした。インタビューなどでも彼女の理知的でそれでいて思い切りもある面は十二分に伺えますが、この原稿を依頼したひとは彼女のそういう側面にいつでも注目していたのではないかな、とそのとき思いました。ほかに執筆陣はごりごりの文芸畑のひとばかりなのに(もちろんハイレベルな達成の)そういうエッセイもぽんと載せるこの雑誌はおもしろいな、と思ってここに決めたんです。(第二の決め手は以前トマス・ピンチョン(その異様さは泣く子も黙る現代アメリカ文学の巨匠)の特集を「新潮」で組んでいたのと、第三に、小林秀雄が『本居宣長』を「新潮」で連載していたことが決め手になりました。じゃあ大丈夫かなって。)
 雑誌の未来とか、インターネットの未来とかいろいろと論じてみるのも一興だと思いますが、未来よりも、いま手元にある雑誌やサービス、その限定されたところに、時に読み手や書き手は空間的な広がりと自由さを感じ、そうしてコンテンツとやらの草木が自然と伸びてゆくのだと思います。こうしてやれとかいうことよりも、気軽さとオープンさが鍵かな、と。

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