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いくひ誌。【3551~3553】

※日々、うんみょろーん、ってしてたい。


3551:【2022/04/06*十年後】
いまから十年後、どうなっているのだろうなってじぶんのことにしろ社会のことにしろ想像してみるのだけれども、あんまり克明には浮かばない。けれどもじゃあ、十年前はどうだったの、と振り返ってみると、あのころのじぶんが現在の環境を想像できていたか、と言うと、どうなんでしょうねぇ、と思いだすのに苦労する。どんな未来を想像していたのか。そもそも想像していたのでしょうかね。じぶんのことばかり考えていたような気がします。環境は、じぶんの周囲のことに限定してみたところで、けっこう変わったようにも思えるし、あんまり変わっていないようにも思える。いくひしさんはすこしだけ生きやすくなったけれども、社会全体ではどうかというと、案外にこれがまあ、どうなんでしょうね、と小首を傾げてしまいますね。社会の変遷ほどにはいくひしさんは変わっていないので、なんとも言えません。――それを幸運と見るか不運と見るかは何を基準にするかによって真逆の評価を得るでしょう。便利な言い方ですね。何にでも適用できます。どうぞお使いください。


3552:【2022/04/06*ひねくれすぎでは?】
いま割と、ガチガチに差別の塊の物語をつくりたくて、でもどうやったらそれがおもしろくなるだろうか、と考えているのだけれど、まあむつかしいですね。全員が全員差別主義者で、差別主義者を差別する人たちもいて、で、全員が全員攻撃的で排他的で、でも差別主義者を差別する人たちは表面的には穏やかなのだけれど、じつは一番陰湿で攻撃的で排他的だったりするとか。もういっそ、生き残りをかけた策略殺戮抗争劇にすれば、そこそこおもしろくなりそうではあるが、もしそれが映画だったら非難殺到して監督生命絶たれるんじゃないか、と想像しておそろしくなっちゃうな(監督生命だけならよいのだけれどね)。


3553:【2022/04/06*思考は途絶えた途端、枷になる】
陰謀論うんぬん、を根拠にして何かしらを批判するのはもはや現代ではトートロジー(循環論法)になってしまった。間違った妄想だから間違っているのだ、と言っているようなもので、何の根拠も示していないし、説得力も宿らない。世の中を動かしているのは一挙集中した権力であり、それら組織の意向が社会を動かしているのは間違いなく傾向としてある。グーグルがそうであるように、もはや企業の揮う指揮棒の匙加減で個人の人生を狂わせることなど容易いのだ。ただし、因果関係を証明することはむつかしいだろう。権力は目に見えない。それでも人々を任意の方向へと誘導し、秩序を生むための操り糸と化している。その恩恵を受けていられればよいが、そうでないこともある。いちがいに「陰謀論に見える」からといって、それを根拠に、他者の言説を根っこから否定するのは、それこそ陰謀論を信じるのとどっこいどっこいの妄信であると言えるのではなかろうか。どちらの言説が正しいのか、ではなく、それら言説を支える骨子や成分に用いられる情報が、それぞれにどの程度信憑性があり、理路整然と並んでいるのか。細胞のごとく組織として機能できているのか。飛躍していないのか。そこを考慮せずに、脊髄反射で「陰謀論だから」では、やはり考えているとは呼べないのではないか。みな、手軽に結論をだしすぎである。思考済み、の判を捺さず、考えつづけることである。それはある意味で、観察しつづけることでもある。違和感には素直になれると好ましい。ふしぎだな、と思うことに率直になれると、考えることには尽きないだろう。しかし、観察し、考えるためには時間がいる。余裕がいる。そのためにどうすればよいのか、とやはりここでも考えてみるよりないのだろう。考えずにいられる環境にもしじぶんがいるようならば、それはきっと、ほかの誰かがじぶんの分も考えてくれているからだろう。楽ができるのは便利でよいが、それはしかしある側面では、支配し、依存している関係だと呼べる。支配を遠のけ、依存せずにいるためには、考えなければならないのだろう。しかし、考えてばかりいられることそのものが、やはりというべきか、他者からの支配ゆえ、依存ゆえに成り立っているのだ。ともすれば、それを脱するためには、他者を支配し、依存させるのがてっとりばやいのかもしれず、しかしそれをしつづけることは身を滅ぼすと、これは現代社会におかれては、歴史を紐解かずともすこし考えれば辿り着く一つの解釈かも分からない。定かではない。

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