※きみきみ日に日にメリメリめり込み、じりじり死に死にひりひり手に染み、ぴりぴり散り散り、致死の実、身に練り、めきめき辟易、きりきりハキハキ、張りきるきみの値いったいいくらに。
371:【ブラック・クローバー】
連載漫画の魅力の一つに、作者の成長が垣間見える点が挙げられる。物語そのもののデキとはまたべつに、作者の力量が劇的にあがっていく過程が物語を通して伝わってくる。主人公たちが成長していく過程よりもそれは、読者のこころを鷲掴みにする媚薬としてときにちからづよく我々へと働きかけてくる。田畠祐基さんのマンガ「ブラック・クローバー」はそんな稀有な作品の一つである。読むならば一巻で見切らずに最新刊まで通して読んでほしいと媚薬を盛られた側としてはあなたの足首を掴むつもりで補足しておく。
372:【おたより】
いくひしさんからおたよりをいただいたよ。「どうしたらうまくいきますか」そっかぁ。うまくいかないかぁ。うーんそうだよね。うまくいかないと困っちゃうよね。どうしてこんなにがんばってるのに、つらいのに、うまくいかないんだろう。そう思っちゃうよね。どうやったらうまくいくのか。こればっかりはぼくにもちょっと解らない。ごめんね。ただ、話はすこし変わっちゃうんだけど、いくひしさんがそうやって「どうしてうまくいかないんだろう」って悩んでいるとき、きっといくひしさんの頭のなかでは、うまくいっているじぶんの姿があるんだよね。そのうまくいっているじぶんの姿とちがうから、いまのじぶんを「もっとどうにかならないかなぁ、いやだなぁ」って感じちゃうんだと思う。それってすごくたいせつなことで、いくひしさんにとって今はまだその「うまくいっているじぶん」にはなれていないのかもしれないけれど、でも、ぼくからすると、そうやって悩んで、うまくいかなかった、どうしてだろうって困っちゃってるいくひしさんは、とても魅力的にみえるんだ。あ、ちがうよ、誤解しないでね。こいつ、困っているひとを見るのが好きなひどいやつだ、なんて思わないでね。そうじゃなくて、何かをやってみて、それで、思っていたのとちがう結果になっちゃった。でもそれは何かに挑戦してみたから判ったことで、その、何かを挑戦してみて、そしてちゃんと理想の結果をあたまに思い描いていて、どうしてそうならないんだろうって、理想と現実のギャップに頭を悩ませているいくひしさんは、ぼくにはちゃんと成長しているふうに映るんだ。進化しているし、進歩している。ぼくはそうやって苦しみながらも、それでも頭のなかのうまくいっているじぶんに追いつこうとしているいくひしさんがとても魅力的に映る。それはひょっとすると、いくひしさんの頭のなかに思い描いているうまくいっているじぶんの姿が、ぼくには思いもよらないくらいむつかしくて、まぶしくて、そうそうかんたんに手の届かないようなものだからなのかもしれない。それでもいくひしさんはせいいっぱい背伸びをして、ときに堅い岩盤をくだいて足場にして、手を伸ばそうとしている。ううん、じっさいに手を伸ばしているんだよね。もうその姿だけでぼくにはとてつもなくかっこよく映るんだ。たぶんそれっていうのは、いくひしさんにとってはかっこうのわるいことで、でも、そのかっこうのわるいことをしてでも手に入れたいものがそのさきにあるからで、そのぼくには見えないものを見て、それに向かって苦しんだり、悩んだりしている姿は、ぼくにとっての理想そのものなのかもしれない。もちろん、いくひしさんには頭のなかのうまくいっているじぶんになってほしいと願っているよ。でも、ぼくにとってたいせつなことは、いくひしさんが頭のなかのじぶんに追いつけるようになることよりもむしろ、いつまでも頭のなかのじぶんをちいさくてせせこましいものにしないでいることなんだ。最初から手の届きそうなものを、頭のなかのじぶんにしないでいるいくひしさんが、ぼくはすごく好きだなぁ。それはきっと、いくひしさんがぼくに打ち明けてくれたように、「どうしたらうまくいきますか」と悩んでいるかぎり、そしてじっさいにひとに訊ねられたように、どういった方向であるにせよ行動に移せたことが、何よりキラキラと輝いて感じられます。いつまでも、うまくいかないことをおそれずに、頭のなかのうまくいっているじぶんを追い求めてください。いくひしさんが悩みつづけているかぎり、頭のなかのうまくいっているじぶんもまた、成長していくでしょう。なんだかきれいごとでまとめちゃったような感じがしないでもないですね。でも、ぼくは本気でそう思っていますよ。いくひしさん、がんばって。以上、おたよりのコーナーでした。
373:【レビュー】
割とかんたんにひとを褒めるよね、と思われる傾向にいくひしはあるのだが、しかしいくひしは物語でたくさんの嘘を吐いているので、現実世界ではなるべく嘘を吐かないようにしている。いくひしが何かをすすめるとき、それは本心からいくひしがおもしろいと思ったもの、魅力的だと思ったもの、それほしい、と思ったものである。逆はない。これはダメだ、おもんくない、さいてい、と思ったものにはいっさい触れない。好きだからこそ「なんやねん」となるときはある。いくひしがあーだこーだ文句を垂れているときはたいてい、「こんなに想ってるのにどうして振りむいてくれないの!」というめんどくさーい衝動をこじらせているときである。あたたかい目で見守ってくれるとうれしい。
374:【青春とは、青春とはなにかと悩みはじめるまでの淡い無知である】
妥協してでもしたいと思うような恋ってなに? すこし嫌いでもいいから好きになりたいってこと? それってすごく好きってことじゃないの? それともただ何かに夢中になりたいだけなの? 琴線にすこしでも触れたようなものならなんでもいいの? それを恋と言っちゃっていいの? え、いいの!? まじかぁ。もうすこしはやく教えてほしかったわぁ。十年おそいよぉ。
375:【攻殻機動隊小説アンソロジー】
2017年3月28日に発売の攻殻機動隊小説アンソロジーの表紙がめちゃんこかっこいい。これは欲しくなる。2000円はちょっとお高いんじゃないの、と思ったけれども、ご購入したくなるかっこよさ、あるよね。円城塔さんはむろんのこと、朝霧カフカさんの攻殻もたのしみだ。ほかはようしらんが、この舐めくさった態度のいくひしの度肝を抜いてみせろや、と生意気にも意気込みながら首を長くして待っている。前にも書いたけれども、プロとアマのちがいを噛みしめさせてもらおう(意訳:おれ以下だったらぶちのめす、それ以上だったら家宝とす)。
376:【とりぴき】
久世蘭さんのマンガ「とりぴき」がナマイキかわいい。子育てブームというか、期間限定で幼児預かっちゃったよブームがさっこんにわかにじわじわキテいる気がしないでもないが、そこそこ打ち解けた幼児の相手をしたときの、あの、かわいげのなさのかわいらしさがよく描かれている。幼児のめんどくさーいかわいらしさが好きな方におすすめです。
377:【あたまいいひとたち】
いわゆる学歴ある人たちの会話、とくに専門分野に突出したひとたちの会話を耳にするたびに、耳慣れない意味ふめいな単語がその形状の異様さから耳のあなを通過できずに引っかかってガンガン頭蓋ごと揺さぶってくるし、しまいにはそれら行き場を失くしたガンガンが、なんかわからん人類の壁と化して、私とかれらのケタ違いを否応なく痛感させてくる。知識は人間と人間を、非人間と人間に分離する魔を宿している。私には彼らが同じ人間には見えず、おそらくかれらからすれば私はおサルさんである。ウキー。
378:【学歴】
いくひしが学歴というとき、それは何かを学んだ年数を意味する。けっしてどんな学校に通ったかではない。学びを学びとして学んでいる者はみなが思うより圧倒的にすくない。習うと学ぶはちがう。旅行と冒険くらいちがう。
379:【法則】
世に「成功の法則」なるものはない。いっとき楽ができる仕組みがあるだけで、けっきょくは一時しのぎである。しかし「失敗の法則」はある。これをしていると遠からず痛い目を見ると確定的な法則はあるのである。その第一原則とも呼べる失敗の素とは、「成功の法則なる先人の浅知恵を信用すること」である。見渡してみるといい。世の中にはおどろくほど多くの「成功の法則」が出回っている。
380:【人脈】
いくひしのきらいな言葉に「人脈」がある。たとえば似た言葉に「金脈」があるが、これは金の鉱脈の略であり、価値のあるものがたくさん埋もれている場所を示す。では人脈はどうか。人脈がある、というとき、そこには暗に、価値ある人間とたくさん繋がっている、という属性が示される。人を価値あるものとしてみるのではなく、利用価値あるモノとして見做し、それを扱える人間をして「人脈がある」と呼んでいる。そこには人を人として扱う尊厳はない。アイテムとしての利便性があるのみだ。世にでるとなにかにつけ、人脈やコネがいかにも重要なもののように見えてくる。たしかにないよりはあったほうが得をする傾向にある。何か問題が起きたときに解決の糸口が、その選択肢が増えるだろう。集合知を助長させるちからが人脈にはある。しかしけっして人脈そのものが集合知ではないし、また、人脈を持っている人間が優れているわけでもない。高級車をたくさん所持しているからといって、その者が人間として優れているわけではない。資本を集められる、という特性が抜きんでいている事実は価値があると呼べるが、飽くまでもそれはたくさんある価値のなかの一つだ。資本や利便性を得るために人脈を広げることに躍起になる人物には、ほんとうの意味での人脈は根付かない。人はモノではない。あたりまえのことを忘れてはならない。