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いくひ誌。【271~280】

※日々がどうとか言ってる場合じゃない。


271:【2017年元日】
新作の脱稿目途がつかない。なぜ夜は更け、日は昇るのだろう。太陽も自転もあいつらみんな敵だ。


272:【悄然】
あ、これ、時間が足んないんじゃない、紡げなくなってるんだ、との気づき。努力してこなかった時間の長さの無情さよ。


273:【メモ】
断片的な情報処理、情報の過密処理、フレームの設定におけるマルチタスクの向上、ネット、アプリ、一貫性の消失、乱雑な情報社会、時間毎における情報の多様性、若い世代のタスク処理力の向上、カオスに対する適応、散漫な意識、反して過集中の発揮、細部から全体ではなく全体から細部への逆ジグソーパズル、はじめからフレームを設定することにより発揮されるフレームからの逸脱・改善。


274:【問う明度】
世になにかを創りだそうとしている者は往々にして泥の底を掬いあげることを意識している。軽いものが表層に浮かび、重いものは沈む。生態系に必要な養分は基本的には重いほうにある。誰かがかき回さなければ、泥はいつまでも底に蓄積したまま、世界は希薄になりつづけていく。いちど舞いあがった泥は水を濁すだろう。しかし水に流れがあるならば、かき回されつづけた水底は、泥を濾し、大粒の砂利ばかりを残すようになる。けっか水は透明さを増す。巻きあげられ、濾された泥の粒子は水に溶けこみ、豊かな生態系を宿すようになる。透明だからといって、必ずしも澄んだ水だとは限らない。腐る前の水もまた透明なのである。


275:【トルネード】
世にブームを巻き起こす人材に共通するのは、雑然としている物事をひとつの線で繋ぎまとめあげる整頓力が著しい点だ。枠のない物事に枠をつくり当てはめ、そしてこれまで無数の呼び名があったものたちにたったひとつの揺るぎない名を授ける。あたかもチリ芥を箒で掻き集め、そしてホコリという名の塊にするように。散在していたチリ芥であろうとも一つどころに集まれば燃えやすくなる。ブームの火付け役とは、けっして火を熾す者のことを言うのではない。火種の核を用意し、風や湿気の影響を受けないように枠で囲む者のことを言うのだ。


276:【どぶ・ヘイト】
世に物語よりもおもしろいものはない。そう断言したいところだが世の中を見渡してみれば虚構よりもおもしろいもので有り触れている。それを溢れていると言い換えてもよい。虚構をおもしろいと感じるような者は、よほど現実をその手で触れていないのだろう。体験が乏しく、存在からして局所的であり、世のなかの広さや深さを体感できていない。裏から話せば、現実を余すことなく感受し、その広さと深さに感銘を受けながらも虚構をすら万全に楽しめる者は、よほど物語が好きなのだと評せよう。あらゆる経験を放擲し、それにより痩せ細った身体で虚構なる世界への素潜りを繰りかえすいくひしには、そのような者たちをして、信じられないほどの好事家に映る。ずるい。うらやましい。対価を払わずに虚構を愛せる者がいるなんて。あまりに妬ましいので、そんな好事家たちをいくひしは、この痩せ細った死神のような手で、絡め取り、いくひしならではの虚構の底へと引きずり落としてくれよう。


277:【もう、ちゃっかり屋さんなんだから】
なにが痩せ細った死神のような手だ。しょうがつ太りでぷくぷくじゃねーか。


278:【好きなものがたくさん】
椎名林檎さんが大好きなのだけれど、もちろん椎名林檎さんのつくる曲も大好きなのだけれど、いくひしが大好きな物語の主人公、草薙素子さんもいくひしは大好きなのだけれど、椎名林檎さんは実写版草薙素子さんのイメージでやはりいくひしは大好きなのだけれど、それはそれとして前にも言ったかもしれないけれど、2016年これはとってもエッチで賞を捧げたい成人向け漫画家さんはディビさんで、やっぱりいくひしはディビさんのつむぐ漫画が大好きで、そこに描かれるキャラクターはなんだか椎名林檎さんとタッグを組んでいるダンサーユニットAyaBambiさんと重なって、相乗効果でますます大好きなのだけれど、あーもう、好きすぎてシュンとなる。さびしいせつない。好きなものがたくさんあると、何もないことが際立って余計に苦しくなっちゃうな。胸がモキュモキュするぜよ。


279:【偏見度数120%】
かんぜんなる偏見で申しわけないのだが、劇団あがりの物書きさんは締め切りに対する思い入れと、他者のアイディアを流用することへの抵抗感が薄い気がする(じぶんのことは棚上げしておく)。加工のいっさいをなしに、素材を丸ごと鍋にぶちこみ時間という名の火を焚き、あとはコトコト煮込むだけで、はいシチューのできあがり、みたいなところが少なからずある気がする。味付けがおかしければ、客に料理をだす寸前であっても容易に塩を足し、ブロッコリーを添え、ときには客のまえでゴマを和えることもある。舞台の醍醐味でもあるのだが、初日と千秋楽とでは舞台の質がまったく異なるのはほとんど前提として織り込まれている。名のある演出家の方々がこうした風習をよしとしてきた背景があるのではないか。え、それいいんですか、と思うことがむかし幾度かあった。


280:【完全自律式自動車】
運転手が運転をせずとも車のほうでかってに目的地まで運んでくれる。完全自律式自動車の開発はいまのところ芳しくない。現在の公共道路においてそれを実現するのは非常に困難であり、完全自律式自動車を完成させるには、それよりさきにつよいAIの開発が優先される。もっとも、現在の技術でも完全自律式自動車は社会に普及させることは可能だ。隘路になっているのは、いわゆる事故時の責任の矛さきと、事故を起こさないようにするためのセキュリティプログラムの設定をどのように枠組みしていくかに焦点が絞られていく(有名なところではトロッコ問題が挙げられる。現時点でそれをAIに解決させるのはむつかしい)。しかしそれも、公共道路のほうを整備してしまえば、とんと隘路と見做さずに済むようになる。すなわち、車道と歩道を完全に分離してしまうという考え方だ。高速道路の進化版と言い換えてもいい。自律式自動車の自律走行可能な領域を定め、不確定要素の入りこむ余地のない環境を整えれば、今現在の技術でも充分に一般化可能だ。そのためには自律式自動車の開発を公共事業として組み込まなければならない。企業と国との癒着がますますつよまることが懸念される。(※じつのところトロッコ問題をAIに解かせるだけならば簡単だ。功利主義を前提にすれば、その後の損失のすくないほうを合理的に選択するように設定すればいよいからだ。より若く、人数のすくないほうを護れとするコードを埋めこめば済む話なのだが、その合理的判断を是としないのが我々人間のめんどうくさいところであり、美点とすべきところでもある)

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