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私が書く小説の理由について……徒然なるままに

私が初めて文字を書いて賞をもらったのは、12歳。小学6年生の時だった。音楽に関する作文を担任に命令されて、7枚の原稿用紙に書いた。それがどう使われたかは知らされなかったが、「小学生の部 全国最優秀賞」をもらった。副賞はそりゃもう、当時をしては莫大な金額のものだった。小学校と自宅に最高級オーディオ機器がずらっと並んだ。
私はそれに対して何も思うところはなかったが、大人は違った。12歳の子どもがたった7枚の原稿用紙を文字で埋めただけで、2百万円近い副賞をもらったのだ。そりゃ、大騒ぎするだろう。でも、誰も私を褒めることはしなかった。

話は変わるが、皆さんは、初夢を信じるだろうか?

「一富士二鷹三茄子」ってやつだ。

実は、その年の初夢は、「20世紀の茄子」と夢の中で呼んでたのだが、地面から直接桃太郎の桃くらい大きな茄子が、数個並んで生えていた夢を見たのだった。
「最優秀賞」の他に、交通標語でも1等賞を取り、その標語が書かれた看板はその後20年以上小学校の前にかかっていた。

その後は、身体が弱かったせいもあり、中学も高校も大学も、ろくに通えなかったが、この時代は「本の乱読時代」だった。ジャンルに全くこだわらず、おそらく図書室の半数近い本を読んだ。「行間の美しさがわかるのは25歳までだから、それまでに千冊は読め!」と言われたので、本気で千冊以上は読んだ。そして本当に、25歳を過ぎたら行間の美しさは色あせた。

二十歳近くなった時、SFにのめりこんだ。同人誌に入り、お題「周囲から隔絶された状況」で、「入院しているのだから、書いてみないか」と誘われて「病室」という処女作を書いた。
この作品を読んだ同人たちから、描写が素晴らしいと言われ、以後は「感性の柊」と呼ばれるようになった。

結婚後も、書くことはしていたが、文学賞に出すようになって、まず「現代詩」で「県知事賞」をもらったが、その時に夫が「あなたが受賞するなんて、よっぽど応募者が少なかったんだね」と、自分より優位に立たせたくないという理由で、貶める言葉をほざいた。どのような文学賞であれ、該当者がいなかったら、「該当者なし」になることを、その時の私は思い至らなかったので認めてしまった。

その後、毎年1回は何かしらの文学賞を受賞したり最終選考に残っていたが、絶対に誰にも言わなかった。
しかし、地方新聞に名前が載ってしまったことがあった。その時には、ちょうど舅のおじさんの葬式の日だったので、親族一同、葬式そっちのけで、「さすが本家の嫁は違う!」とみんなが舅を褒めたそうだ。「わしは鼻が高かったよ」とこれまた、遺伝子すら引き継いでいないのに、舅の栄誉にすり替わっていた。

私の受賞は、他人の栄誉になるか、貶める材料にしかならなかったので、現在に至るまで、最終選考以上に残っても、絶対に口にはしない。まぁ、つい最近になってから、カクヨムとかX には、受賞歴を書くようにはなった。

私が書く小説は、「現代詩」の受賞をきっかけに「SF小説」から「エンターテイメント小説」や「ライトノベル」「純文学」へと変わっていっている。
そのどれもが、主題は「生きるとは」か「思春期から大人への過程」のどちらかに、統一されている。

昨年の3月に今の師匠、芥川賞に5回ノミネートされた村上政彦氏に教わるようになり、「柊さんは、作家に最も必要な『筆力』を産まれながらのGIFTとして持っている。次に大事な『構成力』もある」と評価いただいた。

私が小学生の時にもらった副賞や、その後理不尽に踏みにじられたり他人のものになった名誉が私へのGIFTだと思い込んでいたが、そうではなかったことにやっと気づくことができた。

それらは産物に過ぎず、「筆力」は誰にも盗まれることがない、正真正銘のGIFTなのだ。だが多分気付くのが遅かった。手遅れだと思う。

なぜかというと、身体が弱かったせいもあり、特に「死」は常に身近にあったし、今もそれは変わらない。

私が患っている病気の平均寿命は、普通の人の平均寿命より8年から10年短いと、医学的に証明されている。日本人女性の平均寿命は84.45歳だ。つまり、私の寿命は74.45歳というわけだ。そう遠くない年数だと思っている。

私自身も、そんなに長く生きたいと思っていないし、自分が老人になるというイメージが湧かない。おそらく、その年齢になる前に、私の命は尽きるだろうとも思っている。

だから、今、私が生きた証を書き遺そうとしているのだと思う。それで、私が書く小説の主題は、「生きるとは」になっているのだとも思う。

現在、カクヨムにアップしている

「うさぎ娘とすっとぼけ野郎に課せられたミッション『かぐや姫ちゃんを探せ』」

の主題は「この娑婆は生きにくく去りがたし」「生きる苦しみと死ぬ苦しみを認め『然り』『Sey Yes』と言おう」だ。

アルファポリスに連載している

「またね」-晴れた蒼い海の子は「魂の片割れ(ツインレイ)」

も、死に別れる恋愛小説だし、

「立ち止まっている暇はない」

も、恋人の死を乗り越えて、未来へ向かって歩いていく小説だ。

他にもあるが、それはまたの機会にアップしていくことになるだろう。

長くなったが、私はただ書くことが楽しいから、小説を書いているわけではない。

書かざるを得なくて書いている。

それは、「生きた証を遺す」ただそれだけなのだ。

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