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平安時代を語る⑭(「月が消えた夜に――」連動企画)

別に連載として書く必要もないし、意味もないことはわかっているけれど書きたくなってしまって書いているのが、この近況ノート。

第14弾となります。もうね、需要がなくても書き続けますよ。
一方的な供給です。

楽しみにしている方も、歴史なんか嫌いだから読みたくないって思っている方も、関係なく私が一方的に平安知識を供給していきます。

明日のビジネスシーンで使える平安時代知識シリーズというわけで、今回は「平安時代とまろ眉」について書いていきたいと思います。


平安貴族というと、まろ眉を想像する方は多いのではないでしょうか?
しかし、平安時代の貴族の人物画を見てみてもまろ眉の人ってあまりいないんですよね。
帝の肖像画を見てもまろ眉の帝はいないし、小野篁もまろ眉ではないし、菅原道真もまろ眉ではないし……。さらにいえば、藤原麻呂もまろ眉ではないんです(藤原麻呂は奈良時代の人ですが)。

じゃあ、まろ眉の人って誰なの?
そういえば、現代でもVチューバーの人とかいますペコね。
アニメのキャラクターとかでもまろ眉もいたりしますが、全然違和感無い気もします。
これは日本人に刻まれたDNAのせい?

えーと歴史上の人物でまろ眉は誰かって?

男性は該当者……なし。
そもそも、まろ眉っていうのは正式名称ではございません。
引眉といって、平安時代から江戸時代にかけて流行った眉の形だそうです。
まず眉毛を剃って、その上に殿上眉という例のまろ眉をポンポンと描いて完成です。

元々は裳着(もぎ:平安時代にはじまった女性の成人式)の際に、お歯黒をして、眉を剃って、顔を白粉で塗って化粧して、殿上眉を描いてといったこと通例儀式として行ったことから始まったものだそうです。
眉を剃るのは化粧映えを良くするためと言われています。真っ白な顔の中で眉毛だけが浮いてしまうので、剃ってから上に眉を描くのが殿上眉というわけです。

じゃあ、なんで男もまろ眉なのさ?
いい質問ですね~。

平安時代後期くらいになると、公家は男性でも化粧をするようになっていました。
そのため、眉を剃って殿上眉を描いていたそうです。
これが現代のイメージの公家ですよね。

勝手なイメージで戦国武将の今川義元もまろ眉キャラにされていますが、本当は全然違ったそうです。海道一の弓取りと呼ばれた名将ですからね。たまたま織田信長に不意を突かれて、あっけない最期を遂げただけで。

まろ眉は女性がしているイメージも強いですよね。
でも、これってどこまでが本当なのかよくわからないです。

昔の生活などを描いているのは、大和絵です。
大和絵の描き方の基本は、太い眉に細い目、ふくよかな頬なのですよ。
そのせいで長年、平安時代の貴族たちはみんなあんな感じだったと思われていました。
また平安美人と呼ばれる人たちもあんな感じだったのだろうと。
でも、本当は違います。ただ、大和絵がそういう描き方なだけなのです。
きっと小野小町も違った顔立ちの美人だったはずです。

公家=まろ眉。
そんなイメージがどこかで誕生してしまったのかも知れません。
幕末の公家さんの写真なんかをみると、全然まろ眉じゃないし……。
明治天皇もまろ眉じゃないし……。

というか、時代劇でしかまろ眉のやつみたことないような気もするし。
バカ殿のせいで、まろ眉があんなイメージになっているけれども、実際はどうだったんでしょうね。あそこまでコミカルな感じではなかったような気もします。

きょうは思いつきで、まろ眉について書いてみました。


そんなまろ眉の平安貴族は出てきませんが、平安時代をファンタジックに描いた作品
「月が消えた夜に――」
https://kakuyomu.jp/works/16818622172539912659
ぜひ、一度読んでみてはいかがでしょうか?

2件のコメント

  • 今回もおつかれさまです。

    まろ眉って、現代人に対してはスゴイ説得力があるのも確かですよね…ナゼだろうな…。
  • 三奈木さん、
    まろ眉=公家ってイメージ謎ですよね。
    雛人形も別にまろ眉じゃないし。
    どこで刷り込まれたんだろう?
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