雨は、夜を洗い流すように静かに降り続いていた。
しとしとと、絶え間なく。まるで、この世界の罪を懺悔するかのように。
クロは、屋根裏の薄暗い空間で息を潜めていた。隣には、金髪の少年――レオン。服の裾に包まれた道具袋と、小さく丸めた地図。それが今夜の希望と、全てだった。
「この雨が、足音を隠してくれる」
レオンが呟く。声は低く、けれど確かな決意を帯びていた。
「見張りは俺がやる。……脱走は、お前だけだ」
クロは静かに言った。
レオンは一瞬、驚いたように眉を上げたが、すぐに目を細めた。
「そうか。……ありがとう、クロ」
誰にも縛られない自由。それをレオンは本気で信じていた。
「……お前が自由になったとき、どこかでまた会えたら、いいな」
「そのときは、今度こそ一緒に逃げようぜ」
ふたりは目を合わせ、ほんのわずかに笑った。
やがてレオンは身を起こし、そっと屋根へと這い出た。濡れた瓦の上を滑らないように慎重に進む。そして、敷地の外壁――“境界”へ。
その瞬間だった。
「っ……!」
眩い閃光とともに、空気が震えた。
クロはとっさに窓から身を乗り出す。レオンが、地面に崩れ落ちていた。彼の体を青白い光が覆っている。奴隷紋が、逃亡を感知したのだ。
「っ……レオン!!」
声にならない叫びが喉に詰まる。
レオンの体が、のたうつように痙攣し、やがて静かに沈黙した。
数人の衛兵が現れ、無造作に彼の身体を担ぎ上げる。誰も声をかけない。誰も見ようとしない。ただの“商品”が、不良品になっただけのように。
クロは、握りしめた拳を離せなかった。雨に濡れた指先が冷たい。
――翌朝。
「昨夜の件で、レオンは“出荷”される」
事務的に告げられたその言葉に、誰も反応しなかった。反応することが、どれほど無力かを、皆知っていたから。
クロは、食堂の隅で無言のままスープをすする。
レオンの席は、もう空いたままだった。
逃げることは、間違いだったのか?
自由を求めることが、罪なのか?
答えはなかった。ただ、冷えた食事と、冷たい空気だけがそこにあった。
クロは、拳を膝の上で固く握った。
次は、必ず――
雨は、まだ止んでいなかった