目を覚ましたクロは、見知らぬ天井を見上げていた。
少しずつ頭が回転を始める。身体を起こそうとすると、重たい感覚が両手首から伝わってきた。
鉄の枷。
手枷は冷たく、現実を否応なく突きつけてくる。
「ここは……どこだ?」
声は掠れていた。喉の奥が焼けるように渇いている。視線を巡らせると、同じように床に座り込んでいる子どもたちの姿が目に入る。
皆、一様に無表情だった。諦めきった目。希望を持つことを許されていない者たちの瞳。
その中に、ひときわ目立つ小さな少女がいた。
銀色の髪を短く刈り込んだ、赤い目の少女。目だけが、何かを訴えるように燃えていた。
彼女はこちらをじっと見つめていた。まるで、彼の心を見透かすように。
「……名前、ある?」
少女の言葉は唐突だった。
「クロ……だと思う」
「思う?」
クロは少し戸惑いながら、曖昧に答えた。名前を名乗るのはいつぶりだっただろう。もしかすると、本当に“クロ”という名前でさえ、今の彼には仮のものかもしれない。
「ふぅん。わたしは、名前なかった。でも、いま考えた。アイリスって、呼んで」
「……アイリス?」
「うん。なんとなく、そんな気がしたの」
そう言って、彼女――アイリスは微笑んだ。
小さな、小さな微笑みだったけれど、クロの中にひと筋の光を差し込んだ。
この世界に来てから、初めてのぬくもり。
それは、名前のない少女が名乗った“はじまり”の言葉だった。
「……ねぇ、クロ。ここから、出られると思う?」
「……わからない。でも、出たいと思ってる」
「うん。わたしも」
その瞬間、扉が乱暴に開け放たれ、男たちの足音が響いた。
「新入りはこいつか。……まぁ、売りもんになる顔してるな」
獣のような目をした男がクロを品定めするように眺める。
クロは拳を握った。怒りが喉元までこみ上げる。けれど、その怒りは何の力も持たない。
「……おい、こいつは“素直”か?」
「……さぁ、どうだろうな。けど、黙って売るだけだ」
男は笑いながら、クロの肩を叩いた。その手が、いやらしく身体を這った。
クロは無意識に振り払っていた。
「……触るな」
その一言に、空気が変わる。
男の目が、ギラリと光った。
「ああ……面白い。反抗的な目は、いい値で売れるんだ」
クロは何も言わず、ただ睨み返した。その視線に怯みもせず、男は笑いながら扉を閉めていった。
やがて静寂が戻る。
「……強いね、クロ」
「強くなんてないよ。怖かっただけだ」
「それでも言えたの、すごいと思う」
アイリスは、また微笑んだ。
その笑顔は、今度は少しだけあたたかかった。
この冷たい檻の中で、名前を持たない者たちが、ひとつずつ、自分の色を取り戻していく。
それは小さな始まり。
けれど確かに、ふたりの物語はここから始まっていた。