「知らない天井だ…」
ベッドの上で目が覚めると困惑する頭でそんな言葉が出た。
ルルと飲んでいたはずなのに、なぜこんな場所にいるのだろうか。
そして…
「…うぅ」
前頭部を襲う鈍痛で目が覚めたらしい。
周囲を見渡せば貴族の館のような内装や調度品が目に留まった。
頭を押さえて起き上がり、記憶を手探りに蘇らせる。
昨日はルルと飲み続けて…。
最後は自分で帰ったのか?
どうにもその辺りの記憶が曖昧だ。
ベッドからゆっくりと立ち上がろうとすると何かに腕を掴まれる。
「…マリオン」
金色の長い髪。
可愛らしい少女が腕にしがみついている。
「んん…おは…よう」
むにゃむにゃと寝ぼけ顔で私を見る。
胸元は薄いネグリジェ一枚で、柔肌に小さな膨らみが僅かに覗けた。
…おいおい。
何がどうなってるんだ?
そう呆然と見つめていると、
「んん、道端で寝てたから、拾ってきたわ」
まるで捨て猫を拾ったかのような口振りで欠伸をする。
「飲み過ぎたようですね」
「ふふ、お酒臭いわよ」
まったく記憶にないのだが、どうやら路上で酔い潰れていたらしい。
「…悪いな」
「別にいいわ」
その言葉の続きを告げるように彼女は私を抱き寄せる。
柔らかな温もり。
彼女の吐息が耳にかかる。
ああ、生きてるんだ。
「…変なアリスちゃん」
「…何がです?」
「いつもなら、はぐらかすのに…」
それは…
「…まだ酔ってるんですよ」
この肌の温もりは毒だ。
冷えきった心に突き刺さる猛毒だ。
「「……」」
ただ静寂に包まれる。
ゆっくりとマリオンの頭を抱き締めた。
「…なんだか辛い夢を見ていたんです」
「夢なんて誰でも見るわ」
彼女は私の背中に手を回す。
「…生きてるんですね」
「なによ、それ?」
今ここにある温もりも彼女の確かな鼓動も…。
私は唇を噛み、ただただ沈黙する。
言葉にできないのだ。
全てを失った長い月日の孤独と絶望。
忘れてた。
忘れようとしていた。
そして、忘れた。
それら全てが濁流のように押し寄せる。
…くそッ。
思考が混乱する。
この温もりを受け入れようとする心。
この温もりを否定しようとする心。
「はは…ダメだな」
「…水でも飲みなさい」
酔いが酷いと判断したのかマリオンは立ち上がると水を取りに行こうとする。
そして、扉を開けると、
「おはようございます」
女騎士がそこに佇んでいた。
「水を用意してもらえるかしら?」
「はい」
しばらくすると女騎士が室内に戻ってきた。
私は勧められるままにグラスを受け取ると喉を潤す。
「飲み過ぎだ」
「…はは」
乾いた笑いを浮かべるとマリオンが頭を撫でた。
「そのおかげで一緒に寝れたわね」
「…死体かと思ったぞ」
「そんな酷い寝相でしたか?」
その醜態を思い出したように女騎士は苦笑いを浮かべた。
「私は仕事があるから、後は好きにすると良いわ」
マリオンはそう言うと欠伸をしながら身支度を整えて部屋を出て行こうとする。
「マリオン!」
「なにかしら?」
足を止めると彼女が振り返る。
思わず声をかけてしまった。
なぜなら、
——少し無理をしすぎたみたいね
「腕の良い医者に一度見てもらえ」
——でも、アリスちゃんを抱いて死ねるから、幸せよ
「…特に体調は悪くないわ?」
「…それでも、一度しっかり見てもらえ」
彼女は怪訝そうにこちらを眺めている。
懇願するような私の眼差しと視線が交差する。
そして、小さく笑った。
「わかったわ。アリスちゃんのお願いなら仕方ないわね」
マリオンは悪戯な笑みをこちらに向けると今度こそ部屋から出て行った。
「どういう意味だ?」
その意味が分からない女騎士は首を傾げる。
「…ただの勘ですよ」
私はローブに袖を通すと立ち上がった。
「…おまえ」
「なんです?」
女騎士はまっすぐに私を見つめたまま驚いた顔で息をのんだ。
「まさか…そんなはずは…」
「?」
女騎士の挙動がおかしく、首をひねる。
彼女の鋭い視線が私の全身を何度も往復する。
「なんなんですか?」
「…古参の騎士の風格があるな」
「はい?」
「いや、そんなはずはないのだが…」
自分でも混乱を消化できないといった顔で私を見つめる。
…風格か。
「はは、そうですかね」
あの長い月日を認められた気がして、私は頬を緩めたのだった。