ねじまげ世界の冒険、わたしが二十代のころから書き続けた長編です。
二十歳になる前のことだったと思うのですが、ディーンRクーンツ著「ベストセラー小説の書き方」を読みまして、それからクーンツやスティーブン・キングといった達人の作品にどっぷりとはまるようになりました。
同時に、この人たちと自分のあまりの違いに打ちのめされるようになりました。衝撃のあまり、書けなくなりましたね。
書いても、自分の文章がいやでいやで消してしまう毎日。満足に書けないから上達もしないという悪循環でした。このままではいけないと、ノート一冊に、ストーリーの大筋を起こしてむりやり書いたのが、ねじまげ世界の冒険、第一稿でした。
このとき、自分が身につけたかったのは、細部描写という技術で、これは「ベストセラー小説の書き方」によくのっています。けれど、当時ハタチになるかならずやの自分では、どうしたら、クーンツやキングのような文章が書けるのか、まるで検討もつかない状況でした。
とにかく読め、とにかく書きまくれ、というやり方では、どうも自分ではこの二人のようにはなれない。
自分には才能がない、という現実をまえに、まるで書けない状況に陥ってしまいました。
野球やサッカーだと、さまざまなトレーニング法が開発とれています。メソッドともいうようですが、種々様々な小説指南本を読んでわかったことは、小説にはどうやらメソッドがない。ということでした。
そこで巷にさまざまある能力開発法に手を出すことになるのですが、この初稿を通じて、細部描写のコツ、感覚のようなものはなんとなくつかめるようになりました。
上達するうえで、これはどんな技術でも同じですが、なんとなくでもいいから、感じをつかむこと、これは重要です。後はそれを大事にして、書きまくれ、というやつです。
書きまくるというのは、量をこなすということだと思いますが、上達するためには、もう一つ、質を上げる、という側面があると思います。質を上げて、量をこなすから、はじめてその技術は身につくということだと思うのです。
質を上げても、量をこなさなければ身につかないし、量をこなしても、質を上げなければ、上達はしない。確か、「スポーツ武道のやさしい上達科学」でそんな知識を学んだと思います。
さて、第一稿といっても、ストーリーはいまとは全くちがって、主人公の名前こそ同じですが、年齢も性格もまるで違います。お話も、利菜がこびとになる話でした。異世界にとびもしないし、佳代子や寛太も名前しか出てきませんでした。
さらに上達していくために、新作を書くという方向もあったと思いますが、私はまず推敲を選びました。正しくは推敲ではなくて、同じ登場人物、ストーリーの大枠をつかって新たに書くという方向性でした。そうすれば、ストーリー、登場人物を新たに作り出すという労力は省けます。文章の上達にのみ打ち込めると考えたからです。
そしたら、ストーリーはどんどん変わって今の形になりました。
未熟な作品ではありますが、読んでもらえたらありがたいです。