こんにちは。
たぬき85です。
先日ついに完結した拙作『僕はあの子に蹴られて』。読んで頂いた皆様には、感謝の言葉しかありません。改めましてありがとうございます。
『蹴られて』ですが、現在は本編内の誤字脱字の修正をちょこちょこと行っております。ここは盛り上がるぞって所に結構ショッキングな誤字があって、頭を抱えます。誤字脱字を指摘してくれる友人には頭が上がりません。
で、今回の近況ノートの表題の話です。
『蹴られて』に頂いた感想の中に「セカイ系」という言葉が出てきて、ああ、確かに『蹴られて』はそういう系譜の作品かもなぁと思ったので筆を執ったという次第です。
ゼロ年代(懐かしい響き!)に一世を風靡したバズワードである「セカイ系」。その定義は揺れに揺れまくっておりますが、一般的なものとしては「主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、『世界の危機』『この世の終わり』などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」になるのでしょうか。このあたりの話は前島賢氏の『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』に詳しいです。とってもオススメの本です。
それを踏まえて拙作『僕はあの子に蹴られて』なのですが、結城編も光編も、セカイ系と呼ばれた作品群の影響下にあるのは間違いないと思います。ただ、他の多くのセカイ系作品と同じように、定義がそのまま当てはまるような作品でもありません。
しかし、「きみ」と「ぼく」の関係性が世界の命運を左右する(ように見える)という意味では、まさにその通りなんだろうなと。
いや、セカイ系って……もうすぐ2025年でっせ……と思った貴方は正しいです。私もそう思います。世の中にはセカイ系を乗り越えて次のステージに進んだ作品が溢れかえっております。正直、きみとぼくのおセンチな物語が世界の危機と直結するとか、自意識マシマシの自分語りとか、そんなものはもう古いなと。
じゃあ『蹴られて』は何なんだよとなりますが、この作品自体がセカイ系が全盛期だった時代に構想が生まれて、卵のまま私の頭の中に埋まっていたからというのが一番正しい答えだと思います。この作品の端緒は2003年に『イリヤの空、UFOの夏』を読んだ興奮のまま、友人とルーズリーフに書き殴った設定にあるのです。
実は『蹴られて』は21年の歳月を経て、この世に生まれてきた小説なのです。
2003年から頭の中に埋まったまま少しずつ肉付けされて、2019年に一番最初のプロットができて、2024年の末に完成したのが『僕はあの子に蹴られて』です。
まあ、長い時間掛けたから面白い作品になるという訳でもないですけどね。アルコールが抜けてお酢になっちゃったお酒みたいなこともあるわけで。
それでも長い間かけて構想してきただけあって(?)、『蹴られて』にはセカイ系的な問題意識を乗り越えようとする試みが――ほぼ無意識的に――いろいろと施されています。
というところで、明日の近況ノートに続きます。
画像は今日のお昼に食べたカレーです。
『僕はあの子に蹴られて 』【完結済み】
https://kakuyomu.jp/works/16818093079091339065