こんにちは。
たぬき85です。
昨日の話の続きです。
拙作『僕はあの子に蹴られて』は、セカイ系と呼ばれた作品群の影響化にあることは間違いないが、同時にそれを乗り越えようとする試みが作品内に施されている……という話でした。
作品の中身について作者本人が語るのはあんまりよくないと思うのですが、そもそも全世界で読者が◯人ぐらいしかいない小説なので、ちょっとだけ話をしたいと思います。
ざっくりと言うと「結城編の存在そのもの」「光編の終盤の展開」この二点が、セカイ系だけど、セカイ系的な何かに抗おうとした部分なのかなと思います。
まず「結城編の存在そのもの」ですが、これは『蹴られて』の成り立ちから説明しないとなりません。まず、『蹴られて』の最初のプロットには、結城編だけしか存在しませんでした。光編は完全に後付けで加えられた要素なんです。
セカイ? もうそんな歳でもないよ……という主人公が「運命の女」に出会ってしまって、大変なことになってしまう物語というのが『蹴られて』の根幹部分です。きみとぼくのセカイでは後景に退いていたはずの「社会」に絡め取られて、毎日を鬱々と過ごしている男の物語が『蹴られて』の中心なんです。
読んだ人は御存知の通り、主人公はヒロインのため=世界の破滅に抗うために戦います。しかし、最終的に辿り着いたのはあんな感じの結末でした。
いや、今思うと全体的に「雲のむこう、約束の場所」(新海誠)と構造が似てますね、結城編…… 結末も含めて……
夢から覚めた時に、人生という名の現実が始まるというのも、いかにもセカイ系作品のエンディングっぽい。ビターな感じで。
こう考えると別に、なんも乗り越えてないですね、結城編…… めちゃくちゃセカイ系の輪の中におりますね。なんやこれ、乗り越えるとか言いながらめっちゃ口先だけなってるやん、どうしよう……
気を取り直して「光編の終盤の展開」。光編自体は、結城編だけだとあまりにも若い読者(なんじゃそりゃ)へのアピール力が足りないだろうということで後からプロットに付け足されたものになります。私が思うコテコテのラブコメをやってみたつもりですが、成功しているのかはよくわかりませんが。
日常の学園パートと非日常のUMAパートという色分けをして、きみとぼくの関係が世界の命運に直結するという構造を、わかりやすいぐらいわかりやすく描写してみました。
で、終盤はヒロインが主人公との絆を胸に大バトルをすることになるのですが、もちろん主人公は蚊帳の外に置かれます。いかにもセカイ系ですね! 戦うのはいつも女の子! ってやつです。そこで主人公が憤りながら独白するパートは、セカイ系という物語構造そのものへの批判になっています。そして最終局面では、主人公自身が……という。正直、この最終局面の逆転構造で何かを表現できたとは思いません。ただまあ、この光編の終盤の展開は、結城編そのものというか、生き残ってしまった結城へのカウンターになっています。このエンディングがハッピーエンドなのか、そうでないのかは読者に委ねようかなと。
でもこれも、今思うとセカイ系的な物語構造に自覚的だった「イリヤの空、UFOの夏」(秋山瑞人)の影響ですよね。なんやこれ、やっぱり『蹴られて』は全然セカイ系を乗り越えられてないわ……
冷静に考えていくと、どうやら『僕はあの子に蹴られて』は、セカイ系というジャンルの、グラデーションの中に収まる作品だったようです。
昨日の近況ノートのヒキが台無し!
それでもまあ、作者は作者なりに、セカイの向こう側に達するような何かをこの作品で描こうとしていたと思います。その片鱗は、作品内のどこかに要素として散りばめられています。きっと。
こんな風に自作語りをする痛々しさを、今私はヒシヒシと感じているわけですが、これもまた創作という行為に付随する快楽なのかなと思います。
昨日某SNSに書いた自分の言葉を載せておきます。
【お父さんが日曜大工で作った犬小屋の如き自作小説を前にして、これはいったい何なんだろうと自問自答する訳ですが、これは俺の人生における『1日外出録ハンチョウ』みたいなものなのだなと思うようになりました。】
【『ハンチョウ』では大槻とその仲間達が、青春の忘れ物を取りに行くような余暇を過ごしたり・・・過ごさなかったり・・・する訳ですが、今回の自分の「小説を書く」という行動は、それに近いものがあるんだろうなぁと。】
今の私の気分は上記のような感じです。人気漫画なので皆さんご存知とは思いますが、『1日外出録ハンチョウ』はギャンブル漫画『カイジ』のスピンオフです。普段は地下労働施設で働くE班・班長の大槻が、外出して地上で美味しいものを食べたり、優雅に遊んだりする漫画です。大槻が、時に自分のだらしなさを受け入れつつ、大人の余裕で遊びに興じる姿は、今の自分には理想的に見えます。
恥ずかしくなるようなだらしない自作語りをしながらも、同時に「これもまた一興……!」と、そんな自分自身を眺めて楽しむ。
こんなの10代、20代の頃のナイーブな自分なら耐えられなかっただろうと思います。恐らく『蹴られて』完成と同時にカクヨムのアカウントを消していたはず(笑)
まあ、『ハンチョウ』云々は与太話ですが、『僕はあの子に蹴られて』は正直、不格好で不出来な作品だなと思います。でも、私にとっては世界で一番愛しい作品になりました。アラフォーのおっさんになった私が、「どこかに行きたかった自分」の墓標として残した作品なんだなと。
こうやって一つ、青春のケリをつけられたことが、自分にとっては一番大事なんだろうなと思います。
もう何の話かも分からなくなりましたが『僕はあの子に蹴られて』、まだ読んでない人がいたら、是非読んでみてください!
画像はJR梅田駅の時空の広場です。
『僕はあの子に蹴られて 』【完結済み】
https://kakuyomu.jp/works/16818093079091339065