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ふるさとの言葉

 今回、小説に登場する地元の高校生たちには九州のとある地方の方言をしゃべらせてみたのですが、どうも中途半端な関西弁がまじっているような…? 本当にこんな言葉だったっけ、と不安になってきました。生まれてから大学進学するまでの十九年間、ずっと使っていたはずなのに、いま、文字にしてみると、何かが違うような気がします。

 地元の方言とひとくちに言っても、当時、高校の同級生がしゃべっていた言葉と自分がしゃべっていた言葉が微妙に違っていたのもたしかです。「している」の意味の「しちょる」あるいは「しちょう」「しちょん」はうちの家では使っていませんでした。同級生が使うのを聞いて、へえ、本当にその言葉を使う人がいるんだ、とむしろ驚いた記憶があります。

 「なんで」の意味の「なしか」も「こんな」「そんな」「あんな」「どんな」の「こげん」「そげん」「あげん」「どげん」も、しかり。いったい、うちの母はどこの言葉をしゃべってたんでしょう? 母は「めぼそ」なる不思議な言葉(目の前にあるものが見えていない、不注意の意味)を使っていましたが、これってどこかの方言なのでしょうか?

 当地方の方言に関するまとめを見ると、広島弁のように「じゃ」を使うと書かれていますが、うちの家では「じゃ」の音を「や」で代用することが多かったです。でも、これはうちの家に限ったことではなく、「じゃ」と「や」の交替は自然な流れだと思います。同じ地域でも、かなり揺れがあるのでしょうね。

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