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22/12/6 思春期特有の青臭さ。

きっと、私は混ざり合っている。
思春期は過去に置き去った。
けれど、精神に染み着いた青臭さはいまだ抜けない。

幻想主義なことは変わらないけれど、視力が落ちて現実ばかりが目に入るようになった。無意識につまらない詭弁を並べる自分に嫌気が差す。
この葛藤もまた、思春期が抜けきっていない証拠だろう。

けれど、作家にとって苦悩は絶好の餌だと思っている。
だから、これはこれでいいのだろうとも思う。
食べて、消化して、作品を生み出す。きっとそれが本懐なのだ。


最近、悩んでいた。どう日記を書けばいいのか、と。
日記と言えどパブリックスペースにさらしているわけだから、やはり少しでも「面白い」と思ってほしいのだ。

話題も悩んだ。文体も悩んだ。続けるかどうかも悩んだ。
それでもポエマーのような、ある種、悪臭がする日記でもいいかと諦めた。
私が書くと、日記もポエムになってしまうらしいから諦めた。
だから、「こいつ痛いなぁ」と笑ってくれたら本望です。


私は、いまでこそ「作家になりたい」と宣うけれど、昔は違った。諦観していたのだ。人生を。

生まれた時からずっと、将来の夢が見つからなかった。
漠然と大人を観察して、「仕事に行きたくない」と思いながら、なんの目標もなくただ愚痴を垂れて生きる大人に憧れなかったのだ。

いまとなっては、視野が狭いだけで、達観したつもりになってるくそがきだなと笑えるけれど、当時の私にとってはそれが世界の全貌だった。
こんな世界の中で明るく笑い、声高らかに「ボクの夢は~」としたたかに夢を持つ同級生をみて、ひたすらに辛かった。

何も言えない私は、なんとなくあぶれて、なんとなく責任を感じて、なんとなく「私は悪者なんだ」と思っていた。
なんの面白味もない、つまらない人生をただ流し見して、死に際に「くそみたいな人生だった」と思うのだろうと信じて疑わなかった。

詳しくは覚えていないけれど、5歳に満たないうちから「はやく死にたい」が将来の夢になった。これはつい最近まで変わらなかった。

いまは、「はやく死ぬこと」が夢ではない。
悲観的なそれは徐々に「誰かを助けて身代わりで死にたい」と実にポジティブでヒロイックなものに変わった。
最近は、「私の作品を誰かに認めてもらいたい」と願っている。
これが夢だ。

なぜ、創作するに至ったか。
私は自己表現が苦手な子供だった。(継続中だとは思う)
だから、私という存在をなにかで表現したかったのだ。

学生生活の中で、いろいろな創作に触れる機会は恵まれていた。
けれど、日本の国民性はどこまでも陰湿なもので「なにかを真剣に取り組む」ことは恥ずかしいことという風潮が蔓延っていて、私はそれに押し流されてしまった。(もちろん、私がいた環境が異質だった可能性も十二分にある)
せっかくの自己表現の場を、模範的に受け流してしまっていたのだ。

劇的に変わったのは、三年前か。

大学生になって、人間関係に恵まれた。
新しいバイト先で、彼女らと出会った。
あの人たちは、私という存在を認めてくれていた。

だからこそ、ここでならやっていけると自信が持てた。
創作しようと思えたのだ。
訳も分からないまま、抑え込んだ激情に任せて絵を描いた。写真も撮った。変なオブジェクトも作ったし、もちろん文章も書いた。
その中で残ったのが、小説というだけなのだ。

彼女らと出会って、紆余曲折があった。
バイクで事故を起こして全治5か月。精神を病んでうつ病と診断されたし、大学もバイトも辞めた。

それでも、この苦難があってよかったと本気で思っている。思えている。
全てに感謝とは口が裂けても言いたくないけれど、せめて私が感謝している人間に恩返しがしたい。
それが作家として返せたのならば、なおうれしい。


昨日(今日?)、家に帰ったのは午前4時だった。
だから、日記をさぼろうか迷った。
なんとなく、ごめんね私。

まってて。

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