「まぁ!」
およねさんは玄関に入ってきた瞬間にそう声をあげて口元を抑えた。
「まぁ、まぁっ!」
それから手に持っていた買い物袋を床に落としてしまった。
その驚きようにむしろこっちがびっくりしてしまう。
「こんにちは、およねさん」
つむぎさんが声をかけたが、およねさんは目を真ん丸に見開いて僕のほうをじっと見ている。
というか見ているのはどうやら僕の描いた絵のようだ。
「こ、これ……」
「この絵がどうかしましたか?」
「これ、クリリンちゃんよね?」
「はい、そうです。前髪みたいな模様もよく描けてるでしょう?」
「これ、まさかあなたが描いたの?」
と、目をぱちくりさせて僕を見ている。
あれ、なんかまずかったかな?
「はい、まぁそうです。ちなみにもう一人はつむぎさんのお父さんです」
「ええ、すごくよく描けるわ。ちょっとよく見せてくださる?」
「ええ、いいですよ」
よほど興奮しているのか、パパッとサンダルを脱いで部屋に上がり込む。
落とした買い物袋もそのまま。そして書いたばかりの絵を手に取り、真剣なまなざしで、そしてうっとりとしたように絵を見つめている。
5分ほどもそうしていたろうか? 最後にふぅぅと大きく息を吐き、それからボクに絵を返してきた。
「とても素晴らしい絵ね」
およねさんは懸けていた黒ぶちの眼鏡をくいッと上げた。
なんというかそれだけで緊張が走る、そんな鋭いまなざしだ。
「ありがとうございます。そういっていただけると嬉しいです」
と、ここでつむぎさんが紅茶を淹れてくれて、パン耳ラスクと一緒に運んでくれた。さすがつむぎさん!
「およねさん、よかったらどうぞ」
「あら、ありがとう、つむぎさん。あら、なんか邪魔ね」
と、テーブルの上にあったお義父さんの絵をフリスビーのごとく放り投げた。
「あ……」
とお義父さんの声が聞こえる。
「わたしね、ネコをモチーフにした絵が好きでね、たくさん集めてきたのよ」
そういってまた絵を眺めている。よほど気に入ったらしい。
それがよく伝わってくる。
「それで、ですか。よかったら差しあげますよ」
僕は気軽にそう答えたが、次の瞬間、およねさんは目を真ん丸にした。
「えっ! いいの?」
「いいですよ。素人の描いたものですから」
しかし、およねさんはその言葉にしばらく考え込んだ。
まぁそうだろう。素人が五分で描いた絵をもらっても大してうれしくないだろうし。
「あきらさん、素人かプロかは問題じゃないわ。絵画というものは、本物の芸術というのは、その存在だけで価値を語るものよ」
およねさん、うれしいことを言ってくれる。
そんな風に思ってもらえる人のところに飾ってもらえるなら、描き手としてこんなにうれしいことはない。
「そういってもらえるだけで十分ですよ。ぜひもらってください」
「本当はちゃんとお金を払いたいんだけど、実はわたし、絵にお金を使いすぎちゃって、あんまり現金を持ってないのよ」
「ほんと、お金なんかいいですよ」
「それはダメ。こんな素晴らしい絵をタダでもらうわけにはいかないわ……あなたもよ、タダで譲るなんてしちゃだめよ」
ラスクをポリポリとかじりながら何やら思案している。
「あら、これすごくおいしいわね」
と、つむぎさんににっこりとほほ笑む。
「考え事しているときは甘いものがいいんですよね」
「そうなのよね……そうだ! もう一つの気に入ってる絵があるから、それと交換してくれない?」
「本当にタダでいいんですけど」
「それじゃあたしの気が済まないわ、ちょっと待ってて!」
そういうと床に落ちていたお義父さんの絵を踏んずけて出て行ってしまった。
「あ……」
またもお義父さんのつぶやきが漏れたが、その声はあまりにか弱く誰の耳にも届かなかった。