「わたしと一緒にいると貧乏になっちゃいますよ? それでもいいんですか?」
いきなり困難な二択を迫って来たな。
とはいえ、その質問も予想済み。
もう僕の腹は決まっている。
「もちろん覚悟の上です」
僕の答えは最初から決まっていた。
そうでなければ最初からプロポーズなんかしない。
そう、今僕の手にはパカっと蓋をあけた赤いベルベットの小箱。
その箱の中では、ブランドものではないけれど、ちいさなサファイアの指輪が静かに輝きを放っている。
彼女は思わず右手を伸ばしかけ、それから手を引っ込めた。
そして引っ込めた右手を左手でぎゅっと握りしめた。
伸ばした手を引き留めるように、二度とその手を伸ばさないように……僕にはそんな風に見えた。
「あなたはまだ本当の貧乏を知らないんです、だからあたしなんかに……」
「言ったでしょう? 赤字覚悟の上です」
ハッとして彼女は僕のことを見上げてくる。
ひび割れたメガネの向こうでその瞳が少し潤んでいる。
それは嬉しさのせいなのか、悲しみのせいなのか、僕にはよく分からない。
「やっぱりダメです。わたし、あなたを不幸にしたくないんです、そのすごく大事な人だから」
あちゃー。やっぱりダメなのかな。
どうしても彼女の心を変えることはできないのかな。
ふぅ。そう言われると、なんだかそれまで感じていたドキドキが収まった。
なんだろう? 心が晴れた気がする。
もう一度彼女のことをよく見てみる。
彼女は丁度いい感じにふっくらしている。
頬っぺたもふっくら、二の腕もふっくら、肌はパンと張りがあって、胸がすごく大きい。あごの下のところに小さなホクロがあって、それがまたかわいい。
それから目。普段はメガネでよく分からないけど、すごく素敵な目をしている。
もちろん見た目だけじゃない。性格は素直だし謙虚だし、人のことを思いやることが自然にできるし、それからそれから……ああ、ちくしょう。僕は彼女の全部が好きなんだ。
僕はどうしても君が欲しい。
君と暮らす未来が欲しい。
君じゃないなら、誰もいらない。
「たとえキミが貧乏神でも……」
「なんども言ったはずです。私は正真正銘のビンボウガミなんです」
ここは聞こえなかったことにしよう。
「……たとえキミがそうだったとしても……」
「だから、そうなんですっ! 末席ですけど、これでも神様なんですっ!」
うん。それは、分かっている。
分かっているんだけど。
やっぱり聞こえないことにする。
「たとえすべてを失ってもボクはキミと一緒にいたいんだ。キミさえいてくれれば、他には何ひとついらないんだ!」
恋は盲目とは言ったものだ。
だが恋とはすべからくそんなものじゃないだろうか?
先なんて見えなくても、その先にどんな落とし穴が待っていようとも、突っ走らずにはいられないのが恋というものではなかろうか?
「あなたはきっと後悔します」
「後悔しません。僕は自分で決めたことには後悔しないんです」
「これから大変な毎日がまっているかもしれません、あなたが思っている以上に」
「こう見えても運がいいんです。なによりこうしてキミに出会えたことがなによりの幸運です」
「あなたは貧乏の怖さを知らないんです」
「知ってますよ。たぶんあなた以上にね。だから心配しないでください。あなたのもたらす貧乏なんてボクが全部カバーしますから。これでも有能なサラリーマンなんです」
そんな熱意が伝わったのだろうか?
それとも彼女もまた恋という病にかかったのだろうか?
その瞳に涙をいっぱい貯めていた。
「ほんとにあたしでいいの?」
「もちろん」
「でもきっと最後にはあたしを嫌いになる」
「ずっとキミを好きでいるよ。約束する」
それから彼女はもう一度うるんだ瞳で僕をじっと見つめた。
それからコクリと小さくうなづいて、箱の中の指輪を薬指にはめた。
そして彼女はなにかを吹っ切ったようにフッと息を吐き、それから天使の笑顔を浮かべた。
「ありがとう……ほんとにありがとう!」
そう。僕が見たかったのはこの彼女の笑顔だった。
「こちらこそ。これから末永くよろしく!」
こうして僕は貧乏神さんと結婚することになった。
そう、これから始まるのは、とある女神様と冴えない僕の物語。
倹約化でしっかり者の貧乏神の奥さんと、なぜか運だけはいい僕との二人の物語だ。