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長谷川ルイの作法

小説を書くときに、私がなんとなく考えていることを、こうやって少しずつ書いていこうと思います。

と言っても、普段から特別考えていることもなく、結構気ままに書いているのですが……。

現在、カクヨムにて完結している3つの作品には(正確には、「花言葉」の中のひとつの掌編と、「後の祭り」と「夢のクジラ」ですが)、ひとつの共通点があります。

それは、ひとりの人物の現在・過去・未来を描いていることです。

まだ読んでいない方が大半だと思いますのでネタバレは避けますが、私はたまに、こうして作品をまたがって同じ登場人物を描くことがあります。著名な作家では、伊坂幸太郎さんや森見登美彦さんもよく使用する手法です。

私自身、このお2人には多大な影響を受けていますので、もしかしたら、これまで私の作品を読んでいただいた方の中には、「似てるな」と思った方もいらっしゃるかも知れません。

それはともかく、3つの作品群に同じ人物を登場させたのには、私なりの理由があります。とかく小説というものは、ある人物の人生の一部を切り取り、起承転結をつけて物語として成立させる必要があります。それが小説だと言っても過言ではないかもしれません。

フィクションですから、奇想天外な話になることもありますし、悲劇にしろ喜劇にしろ、何らかのメッセージなりメッセージなりテーマがあります。

その一方で、リアルの私は、波乱万丈の人生でもなく、ただただ職場と家を往復するだけの日々です。幸か不幸か、日常を延々と繰り返すしか人生を過ごす術を知りません。

誰かの人生を小説として描きながら、一方で自分の人生に何の希望もなく、もはや漫然と過ごすことに慣れきってしまっています。

それが普通なのかも知れません。だからこそ、10万字位程度の小説の中で誰かの人生を完結させることをしたくない、という気持ちを常に持っています。

抑揚はなくても、それでも生きるしかない私たちの姿を代弁できるのは、やはりその日常を生きる人しかいないのではないか。

そういう想いで、私はあまり面白みのない小説ばかり書いています。

今日から新しく、「二十四節気」という小説の連載を始めました。箸休め程度で構いませんから、もしお時間があれば立ち読みしてみてください。

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