ハァイ★一億諸賢の「その作品まだ使いまわしてんの?」という言葉が嫌いな)紳士淑女のみんなぁ! ブリブリ*ブリリアントショッピングの有無を言わせぬ開幕よ☆彡
あ、ちょっとカメラとめてー……痛い。何年前のや? ってくらい古い自作を使いまわしてる煙です……煙です…………煙です………………
気を取り直して!
さてさて! 先日眠れない・眠りたくない者同士でちょいとばかし煙の小説作品の添削をしていただいたのね。
向こうは現役大学生(煙も一応大学生※なんだけどね)で、美学芸術学を学ぶ脳みそフレッシャーな感性をお持ちの方で、実に多くの「なんかこれおかしい」という違和感や「実際はこうなんじゃない?」といったところまで、ほんとうに有用かつ多数のアドバイスをいただいたの。
で、その場で直してその場で「うん、いいでしょう」と背中を押してもらったのが深夜3時、課題の『あの山を越えろ』を『ツェルマットにて』と改題しました(改題自体は煙判断)。
あのねー……調べて書くとどこかでボロが出る。それがどんなに調べつくしても、雰囲気だったり不自然に薄い描写だったり、そもそも嘘っぱちだったり。
知らないことは悪ではないけど、知った口を利くのはいささかさわりがある。けど、場数を踏んで地雷を踏んで、怒られたり冷たくあしらわれたりしても、万能人間にはなれないんだから、やっぱりこれまで以上に学びこれまで以上に体験するほかねえんだわ。
たとえていうなら『ハッピーレクイエム』では医学的知識はほぼ専門家に取材ないしそれに近いことを行なった。
煙がちょっと長期で入院することがあり、そこへスーパーローテートしてきた後期研修医が煙の担当医になったんだんだけど、その先生は本来は救命医で、ほんと、僥倖ともいえた。
医師よりも患者の方が質問回数が多いってどうなんだろ、と思ったなぁ。しかも小説のネタ集め、リアリティ追及のために。
――というのは少し極端な例だけど、ある程度は本屋さんの本で学ぶことはできる。まぁブッコフが多いんだけど。「ある程度は」というのは本の内容を鵜呑みにできないから、300ページあったら100ぺージはすでに知っているか、もしくは馬鹿馬鹿しい内容だとか、取捨選択、取捨選択です。
――といった「真実味・違和感のなさ・説得力」があると小説は「力業・筆力・経験則」にも匹敵すると思うんです。実際に体験もしていない。そもそも書き慣れていない。力不足。これら絶対的な差を埋めるには知恵も必要、リサーチも必要。
今回『あの山を越えろ』を『ツェルマットにて』に仕上げられたのも、まずは第三者視点。それから想像という嘘のブラッシュアップとボトムアップ。つまり苦手を排し得意分野を書く。
なんだか馬の小便みたいに長くなってしまいましたが、要約すると『あの山を越えろ』があの山を越えたよ! ということです。
10連続★3の『神様のくそったれ』に肩を並べる出来となったかと思います。ぜひどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/16817330668156878459