【はじめに】
このノートはカクヨムWeb小説短編賞2019に参加している「山妖記」についての振り返り記事です。
まだ作品をお読みでない方は、ぜひ本編「山妖記」をご覧の上、以下をお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893077911では以下、綴っていきます。
【文体について】
これは読んでくださる皆様に評価していただいていますが、これまで磨いてきた文体の集大成としてこの小説を書けたことを本当に誇らしく思っています。
玩具とてない山中で、私の楽しみといえばもっぱら母の歌う子守唄のみであったが、長じてからは母から琵琶を貰い受け、蓮の彫刻が施されているという楽器にちなんで墨蓮と名をもらった。
もっとも私は盲目であったから、墨で蓮を描くことも叶わず、もっぱら琵琶を奏でて昼夜を過ごした。
誰に教わるともなく芸の腕は上達し、春の鶯、夏の不如帰ほととぎすの声に合わせて琵琶をかき鳴らせば、鳥の声はますます盛んに響くのだった。
目は見えずとも、四季折々に鳴く鳥の声や、春雨秋風に季節を感じ、もしこれが麓の国の帝であったならば、歌人に歌を詠ませて無聊ぶりょうを慰めただろうと思われた。
あいにくと生来より山で育った私は歌のひとつも詠めぬのだが、琵琶の調べに乗せて節をつけてあてずっぽうに歌えば、幾分か心安らぐ心地がする。
清らかな秋月の光もこの心までは届かずに、秋の夜風に唇で触れては音曲となってこぼれだすのだった。
特に冒頭のくだりはより語調やリズム感を意識して書きました。古風でありながらも読みやすさを意識した文体は、構築するまでに五年の月日を要しました。
【設定について】
Twitterでは少々触れましたが、当初は世界観の構築が完全ではなくて、人と妖、そして獣の書き分けが明瞭にできていませんでした。友人からアドバイスをもらって、初稿からの校正の段階で大きく手を入れて、三者三様を書き分けることができ、ひとまずほっとしています。
特に妖と獣との上下関係が当初は曖昧だったのですが、最終的に妖>人>獣という関係に落ち着きました。
レビューにもあったように、主人公が獣に変身するというのは、幼少期から愛読していた小野不由美『十二国記』の影響が如実に出ているなぁと感じます。
妖に関しては、鏡花崇拝者なので、鏡花の妖を至上とする世界観に近いものを描きたかったのですが、妖は恋をしないというのが鏡花との違いで、それはひいては恋愛観や男女観の違いとなって表れているのだろうと思います。
恋愛は不浄なものだと私は思っていて……。この辺りは宮沢賢治イズムに近いものがあるかもしれません。
【主人公について】
読んでくれた夫には指摘されたのですが、属性を付与しすぎたなという反省はあります。半陰陽で盲目という設定でなければこの物語を書くモチベーションはまったくなかったと云っていいのですが(どんな性癖だ……)、いずれにせよ半陰陽という属性をもっと掘り下げられたのではないかなと。
それでも、主人公が苦悩・葛藤し、ギリギリの状況下で自ら決断を下し、責任をすべて負うという物語としての大きな骨組みはきちんと描けたのかなと。
母との対立という軸は私の物語を書く上でのコアでもあって、そこは譲れなかったので、最後まで描き抜けたことは良かったと思っています。
ただ、母親である嬋姫にも嬋姫の悲しみがあって、そこをもっと掘り下げられていたら悪役としての魅力が増したのかなぁとも感じていて、そこは反省点のひとつです。
【最後に】
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。読者選考期間が終わる2/7までは何かと宣伝が増えるかと思いますが、どうかご寛恕いただくとともに、Twitterでの拡散やカクヨムでの評価等々応援していただければ幸いです。
小説を書く喜びを噛み締めることができた「山妖記」は私にとってかけがえのない作品となりました。
少しでもその気持ちが読者の皆様にお届けできれば幸いです。