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最終回

遂に最終回を迎えた麒麟。
義昭を殺すよう命令されたことが直接の原因であるかのように描かれておりましたが、ドラマだからといって無理に珍説をひねり出さなくても……。

たとえば皆さん、ちょっと想像してみて下さい。
あなたの掌の上に、ある生き物がいるとします。小さくて弱い生き物です。掌を握ればその生き物を殺すことはたやすい。握りつぶすかそうしないかはまったく自分の選択に委ねられていて、誰からも強制されることがない。
当時の光秀が置かれていた状況がまさにこれでした。
大軍を擁する自分の掌のうえで、信長が無防備な姿をさらす千載一遇の好機に際会した光秀が、発作的にこれを握りつぶす選択肢を選んだ。
私にはそう思われてならないのです。
寄騎大名だったはずの細川幽斎や筒井順慶でさえ呆気にとられて光秀に味方できなかったことが、謀叛が発作的だったなによりの証拠でしょう。
無力な生き物を握りつぶすかどうかはまったく自分の自由だったけれども、そのあと周囲からどのような仕打ちを受けるかは別問題だった、というわけです。
なお本能寺の変は飛騨三木家にも大きな影響を及ぼします。そのあたりの事情も本作で記していきますので、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いします

2件のコメント

  • 日々の更新お疲れ様です。
    私も同意見です。理由は色々後付けされますが、後の結果から発作的行動説が1番説得力がありますよね。
    『麒麟』はコロナの影響もありましたが昨今の大河は予算の削減も影響か期待外れが多いです。演出が地味でも脚本が上手ければ面白くなると思うんですがね。
    『飛州三木家興亡録』今後も期待です。
  • 突発説はドラマになりづらいということなんでしょうねきっと。

    ところで史実重視で鬱展開一辺倒の本作ですが、一貫して変わらぬご愛読ありがとうございます。ほんと励みになります!
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