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愛されるとかそうゆう話

穏やかな殺戮。
人に愛されることを、たまにそう感じる。

人を好きになったときの、レモネードのような甘酸っぱく弾ける感情はとても好きだ。今まで小さかったはずの幸福が、まるで自分が蕾だったかのように振る舞い、感情が高ぶると同時に花開く感情は、他のもので代替えが利かない。
そんな感情は時に疲れてしまうけれど、私はとても好きだ。

けれど人に好きになられると、途端に不安を感じる。
愛されている不安なんかじゃない。
ただただ、愛そのものが薄気味悪く感じることがある。
愛は雄弁であり、時には何人たりとも殺すことができる。
愛されていると自覚するたび、自分の何かが摩り減るような気がする。
特に自分が好きでもない相手からの感情は、私の大切な何かを削ぎ落されるような感覚に陥ることがある。
大切にされたくないわけじゃない。
大切にされたいけれど、それが途轍もなく怖い。
縋ってしまうような気がするから。
それ以外何もなくなってしまうような気がするから。
好きでもない誰かに、自分を押し付けてしまいそうな気がするから。

それはあまりにも身勝手で、非道なことだから。

だから、一緒に居てくれる人は友人含め本質的なところを「気にしない」人がいい。「何となく」を、大事にしてくれる人がいい。「そんなこともある」と流してくれる人がいい。
踏み込まれると、傷つけてしまうから。嫌な思いをさせてしまうから。
好きな人には笑って居て欲しいと思うから。
私にできるのはとても小さくて少ないから。
一緒に穏やかな時間を過ごすことくらいしか、約束できないから。
そんな自分を許してくれる人がいい。

信頼した誰かに愛されたい。
愛したいと思う人に愛されたい。
そう思うのは、我儘なのだろうか。
こんな我儘な自分を愛してくれる人が
果たして世界に何人いるだろうか。
世界には何十億もの人がいる。
それらしい言葉はあるけれど、
人生で出会う人の数はそれほど多くはない。
だれかの傍に居る幸福感を、
私はあと何度感じることができるのだろうか。

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