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夜の楽しさの真実

 昼間ずっと頭の中を飛び交う苦悩は体を畳の上へと縛り付けるけど、それはやがれ太陽と共にどこかへ消えていく。そう、夜が来たのだ。あれほど一生消えない気のしていた苦悩が全く感じれなくなって、とてもじゃないが体をじっとさせることなどできなくなる。踊りながら階段を降りてみたり、無意味に外を走ったり、翌日の電車内で思い出して変な汗のでるような文章を綴ったりする。これほど理想的な自分はいない。どうして夜はこんなに楽しいのか。
 逆算して考えてみよう。楽しいのは何故か、体が自由に動くから、それは何故か、苦悩が消え去ったから。では、どうして夜になると苦悩が消え去るのか。実はこの謎は中学生の時に解決済みであり、その考えは今でも変わらないどころか新しい夜を迎える度それは強固な確信へとなっていく。
 夜は世の中が活動していないので、大半のことはできなくても仕方がない。これが答えだ。昼間に「あれやらなきゃ」と思うのはその時自分が頑張れば「あれ」をすることが可能だからで、もちろん出来なければ自分のせいである。しかし、夜はどうだろう。「あれをやらなきゃ」と思ったって店はやってないし人々は寝ているし、いくら自分が頑張っても不可能だ。出来なくたって自分のせいではないのだ。だから一時的に悩みが雲散してくれるのだ。え?昼間に出来なかった自分のせいだって?そんな優等生は夜は楽しめない。今すぐやめた方がいい。

 人間、「仕方がない」という状況ほど心地いいものはないのだ。しかし、現代スマートフォンやコンビニエンスストアの業務増加などで、世の中から「仕方がない」消えかけている。我々は常に自分からやるやらないの選択をしなくてはならない。スマホのせいで電車内でもあんたは仕事ができる、すると仮にあんたが電車内で仕事をしないと、あんた自身の怠慢になるのだ。でも人間そんなに24時間仕事ができるわけじゃない。あんたは、自己に一抹でも罪悪感や失望を感じながら休みを選択することになる。そりゃ自殺者も増えるはずだ。本来休みは作るものじゃない、与えられるものだ。それも強制的に。

きっと昔はどうしたって何も出来ない状況が自然と細かな休みになっていたのだ。それを失った現代はひどく疲れて見える。

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