【永遠にはまだ遠くても】完結しました

こんばんは。2月になりましたね。

スノウ・ドーム最終章【永遠にはまだ遠くても】が1/28に完結しました。
終わってホッとしました……。
読んでいただいた方、♡や☆まで下さった方、ありがとうございました。

(以下、ネタバレですので本編未読の方は先に読まない方がいいです)

高校生のこのみを主人公にして考えた時……
きっとこのみは誰よりも美しい運命や永遠を信じたかったのではないかなと思います。

私も高校生くらいまでは永遠とか運命とかよく言っていました。
しかし大人になるほど、なかなか美しい意味での永遠も運命もあまり信じられなくなっていきました。
何もかも移り変わり、いい時の次の瞬間には悪い時になりまたいい時にもなる、そういうものを何度も見てきました。

だからこそ高校生でまだ恋を知らない、自分の人生の入り口に立ったばかりのこのみ、そして佳海には運命と永遠を信じて欲しく、タイトルに決めました。
佳海は素直にのびのびと育っているので無邪気に永遠も運命も口にできます。
しかしこのみは祖母と千佳の行く末を見ているので信じたいのに口にできず、むしろ怖がっています。
そんな彼女が最後に口にする「永遠にはまだ遠くても」は初めて佳海から「永遠」という言葉を聞いた時に比べて全く変わっています。

真希子は「手の中に降る雪」の中でこのみに誓います。

 ──いつかこのみに伝えよう。
 誰かを心から深く愛する気持ちを。
 それがどんなに幸せなことなのかを。

また、成海は「いつか海になる日まで」の中でこのみに誓います。

 真希子さんと母の秘密を共に受け継いだこのみのことを、見守っていこう。
 このみだけの幸せを見つけ、このみらしく生きていけるように。
 それが、母の死後、ずっと私に寄り添ってくれた真希子さんへの恩返しになるだろう。

このふたりの誓いを、このみの物語で実現させたかったのです。

そして、このみの恋の相手となる佳海もまた、このみに誓います。

「私が一生掛けてこのちゃんに運命も永遠も信じさせてあげる」

この誓いが実現するかどうかはわかりませんが、お互いを信じて毎日を積み重ねていくうちにこのみが思うラストの言葉どおりになるのではないでしょうか。
私はそうであってほしいと思います。

・・・・・・・・

 今はまだ遠くても、いつの日かやっぱり私たちは永遠だったねと笑い合えるその時まで、ずっと。

・・・・・・・・

ちなみにこのラスト、公開当日にギリギリ(19:56)で書き直したのです。
当初はこんな言葉でした。

 どんなに離れていても、会えない時間が長くても、私は佳海へと手を伸ばし続ける。
 永遠にはまだ遠くても、ふたりが離れずに一緒にいられるその日までずっと。


どうして変えたかというと、これでは「一緒にいられる日」がゴールになっている、というのがちょっと納得いっていなかったのです。
それが「祖母たちは一緒に住むことはなかった=成就できなかった」と思っているこのみらしくはあるのだけれど、一緒に住む日が来たとしても、やはりそれは通過点で、ずっと互いに努力して関係性を積み重ねていくしかないんですよね。

そしてまたうっすらと、一緒に住むことはなかったとしても、真希子と千佳は成就していたという佳海の言葉を反映もさせたかったのです。
成就の形はいろいろですから。
真希子は千佳が死んでしまったことを嘆いてはいたけれど、佳海が言うとおり、千佳の大きな愛の中でかわいい孫娘と一緒にいられて、幸せだったと思います。

あ、そうそう
今回、ほぼ初めて登場するといえば、真希子の息子夫婦(=このみの父母)
千佳が死んでショックを受けた時も、真希子をそっとしておいた(というか放置していた)り、真希子が死んだ後も悲しみに沈むこのみに構わずに親戚対応に明け暮れて、真希子の自宅もさっさと処分してしまう、合理的で飄々とした人たちなのですが、だからこそ感情豊かなこのみは真希子と深く結びついてもいたし、真希子亡き後は胸に穴が空いたような気持ちから抜け出せない。

けれど、飄々としているからこそ、突然やってきた佳海のことも明るく受け入れるし、青春っていいなあなんて言ったりする。
その飄々とした部分にこのみが救われたりもするのです。

そういうものだと思います、人間関係って。
感情豊かで繊細な人たちが揃いすぎてもしんどくなるし、飄々とした人たちが揃いすぎてもわかりあえない。
色々なタイプがあって、うまくかみ合わない時も多いけれど、ふとした瞬間に救いあえたりもする。

今回はそんな部分も書きたいなと思っていました。

とは言え、だからといって父母がこのみと佳海についてすんなり理解するかと言うと別問題だと思います。
世の中、そんな都合良くはいかない。
でもそんな時に成海や和貴がこのみと佳海の味方になってくれると思っています。

成海がわりとあっさりと理解できたのは、やっぱり母のことを見てきたからだし、このみを守るという覚悟があったからだと思います。
娘のこともよく見ていましたしね。
成海という人はこの物語の主人公のひとりにして「創作百合」というカテゴリにありながら異性愛の人ですが、だからこそ言った言葉を薄っぺらいものにさせたくなかった。
成海は本物の愛情というものを体現する人なのです、私にとって。

成海は千佳からこのように語られています。

「娘の名前は成海といいます。
 海のように心が広くて愛情深い子に成って欲しいと思い、私が名付けました。
 名前の通り、優しくて思いやりがある子に育ってくれています。
私の自慢の娘です」

「自慢の娘」というのは成海が発する言葉にもなりました。
そしてこの「海のように心が広くて愛情深い」というのは、佳海にも受け継がれています。

感性が鋭く繊細だからこそ思い悩むこのみは経験がないわりに精神年齢が高くなっていますが、時にあっけらかんとしつつ物事の良い面を見つけて前へ前へ進む佳海はかけがえのない相手だし、無邪気で素直だからこそ周囲から浮く佳海にとっても、「かわいいなあ」とひたすら可愛がってくれるこのみは運命の相手なんだと思います。

「初めてをお互いのためにとっておいた」ふたりは楽しいことばかりではなく、ぶつかることも多いだろうけれど、その時その時できることをふたりで楽しみながら成長していって欲しいなと思います。

そんな彼女たちを、またいつか見られたらいいなと思います。


昨日はまた別の締め切りがありました。必死で書きました。
コミカルなお話にはなっていますので、公開されましたら楽しく読んでいただけたら嬉しいです。
(またお知らせします)
なんとか原稿OKだったので、ちょっと冬眠に入ります。
1月は無理をしてしまいましたので疲れました。

また素直に書きたいと思える日が来るといいなと思います。

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