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柏村という土地

惟種が惟國に悔返を受けたという「柏村」なんですが、近年刊行された阿蘇家についての本だと比定地が判ってないってことになっております。
しかし大昔の『中世の神社と社領』だと旧蘇陽町(現山都町)にある二瀬本神社の辺りがポイントされていて、何が根拠なんだろうかこれはと思っております。何が根拠なんだろうか。もしかして西に「柏」って字がある(蘇陽の南北メイン道路※が通ってて小学校とかある)からか。
※普段なら道があると比較的納得するんですが、この道は上益城阿蘇観光サザンルートなので新しい道のため納得はしない
柏村は下野狩に勢子を出す義務があるので、そんな遠い所から勢子呼びつけるか?という疑問が……他の勢子を出す村はもっと近そうなところばっかりなんですよね?

で、蘇陽町というか二瀬本神社の南にある蘇陽峡に一度連れていっていただいたことがあるのですが、峡なんで渓谷なんですね。風光明媚ではあるのですが、ちょっとここに人は住めないよねみたいな……
が、「この下にまだ確か住んでる人が」みたいな話をされてですね?
いや、道が無いんですよ。無いって言ってたよガイドさん。
少なくとも我々が道と認識できるような道は無いんだと思う。めちゃくちゃポツンと一軒家状態なんだと思う。僕がそこに生まれた人間なら出て行ってるね。学校に通うために……。

で、Googleマップで確認した今の形よりはこの柏ももう少し開けてたんでしょうけども、やっぱり山の間を切り開いた場所で、くれるなら二瀬本の方が開けてんな、取れ高もありそうだなって思いました(言っても村だから人口はあったんでしょうが)。
鎌倉時代末期にどんな所だったんだろうとは思いますが、あの土地くれるって言われても正直要らない……なにしろあの時代なら「米の取れ高」が土地の価値だから……。
まあ、だからといって『秀つ鷹』で勝手に比定した「柏村」も……うん、まあ……。
ま!まだ当時もう少し開いてたと思う!今は小学校も閉校になるようなとこだけど!

個人的には知行地貰えるなら合志とかがいいですね(一番いい所を攫うスタイル)。

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