吹奏楽のための交響的詩曲「不滅の風」
をお読み下さった皆様、ありがとうございます。
特にお読みでない皆様も、あとがきを見てくださり、ありがとうございます。
最初の最初にこの物語を書こうと思ったときは、身内ネタでいいや、というような気持ちでした。
とはいえ、実体験に基づいた部分は、実はほぼありません。
小学校4年生から大学まで続いた私自身の吹奏楽人生は、決して輝かしいものではありませんでした。
悔しいことや、寂しいことのほうが多かった。
だけどそれでも、好きだからやめなかった。それに、みんなと一緒にいたかったから。やめたいと思ったこと、なかったんですよ。あんなに下手くそだったのに。笑
あのころの「気持ち」を、今なら冷静に書き残しておけるのではないかと、筆をとったのが4月。
その前に音楽に関する短編のお話を書いて、すごく楽しかったので、長く書いてみたいと思ったのもきっかけでした。
けれど、ただ思い出をもとに綴るだけでは面白くないと思いました。
吹奏楽部には何十人も部員がいる。
そしてそれぞれにストーリーがある。
たしかに、誰もが主役の瞬間があるんです。
それは無数の、カラフルでハッピーな群像劇。
どうせなら、読んでくれた人が笑顔になれるような物語にしたい――。
そんなことを考えてたら、温かく、どこか懐かしい、みんなの声が、聞こえてきました。
終盤のあるシーンと、最終章の最後のシーン以外は物語の内容は決まっておらず、
白紙の状態から、メロディのように台詞が浮かび、伴奏のように文章を書いて…毎回、そんなふうに作っていったお話でした。
毎回出てくる楽曲も、私自身が部員や顧問の先生になったような気持ちで、悩みながら決めてたんですけど、それはまるで、自分が吹奏楽部に帰ってきたかのような感覚で、すごく楽しく幸せな時間でした。
そんなわけだから、瑛莉が「宇宙の音楽」が好きと言ったときも、「あ、そうなんだ」と私のほうが相槌を打つようなもので、だけどそこからいろいろなものが繋がっていった気がします。
「宇宙の音楽」は、私が高校二年生のときにコンクールで演奏し、とても悔しい思いをした曲です。
今でも思い出すと泣くぐらいに、やり直せるならやり直したいような思い出の曲です。
難易度が高いことを言い訳に、あのときはなにも感動することができなかった。
「ハルモニア」では、そんな想いと向き合うことになりました。
悔し涙をたくさん流したけど、私が得たものはそれだけじゃなかったと、思いたかった。
みんなが忘れてしまっても、楽しい瞬間や、幸せな時間がたしかにあったことを、ちゃんと私が覚えていたい。
そんなおもいで、言葉を紡ぎました。
なんだかやっと、「宇宙の音楽」をちゃんと演奏した気がしました。
ありがとう瑛莉。
私はこのお話、子どもの親でもない、現役高校生でもない、今しか書けないと思います。
長い人生の中のたったの3年間という高校生活に、凝縮されたエネルギーってすごいです。
もしもここを読んで下さっている高校生の方がいらっしゃったら、全てのことは絶対に無駄じゃないから、なにか打ち込めることを、好きなことをやって下さいと言いたい。
時間は有限かもしれないけれど、
可能性は無限だから。
さて。
ここから本編に関する重大なネタバレがあるので、ご注意ください。(未読の方は、みるなよ、ぜってーみるなよ)
瑛莉の病気について補足しておきます。
実際に存在する病気ですが、本文中では病名はあえて伏せています。そこが重要ななわけではないので。
遺伝の法則や症状と進行の仕方などは事実ですが、具体的な治療法と最後に出てきたお医者さんの話と治療機関については架空のものです。
ただ、偶然なのですが、
このお話が完結した11月10日、その約一週間前に、この「筋ジストロフィー」という疾患の原因に関する新しい研究発表がなされました。今まで原因不明とされ、リハビリや投薬治療により進行を遅らせることしかできなかったこの病気ですが、今回の研究により、もしかすると、新たな治療薬開発の可能性も出てきたということです。
瑛莉が一日でも長くバリサクを吹けるように、
そんな希望を、未来に託したいものです。
不滅の風は終わりますが、平城山高校吹奏楽部は明日からもまた活動しています。
私の、もしかしたらあなたの心の中で。
(な、なーんてね!図々しくてすみません……。)
またいつか、会う日まで。
この物語を見つけて下さった、平城山高校吹奏楽部に出会って下さった皆様に、感謝を込めて。
ありがとうございました。