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作家になるために必要な読書量とは

 お疲れ様です。
 名無之です。今日はまたTwitterからのネタになるんですけれども、どれくらいの本を読んだらいいかということについて話していこうかなと思います。

 作家になるためにはたくさんの本を読まなくなるダメだっていう意見がある一方で、いや別にそういうことはなくねっていう意見もあると思います。10年くらい前とかですと、「作家 なり方」みたいな感じでGoogle検索すると、やっぱりまずは本を読みましょうと書かれていましたし、多くのメディアに出演している作家さんもまずは本を読みましょう、みたいなこと言っています。
 で、それを信じて実際に本をたくさん読みまくった人間がここにいるんですけど……笑。まあなれてないっすよね。で、何が原因だったのかなと色々考えたんですけど、やっぱりただ右から左に読破していくだけでは意味がなくって、その作品がいい作品なのか悪い作品なのかをしっかり分析しながら読まなきゃいけなかった。凡作も傑作も平等に吸収してしまうと、結局凡作の方が際立ってしまうので、じゃあいざ小説を書こうってなった時に、その凡作をベースに小説ができてしまう。そうすると凡作の凡作ってことで、目も当てられないほど駄作ができてしまうんですよね。
 だから一番最強の読書の仕方っていうのは傑作ばっかり読むことだと思います。じゃあ傑作をどうやって見分けるかって言うと、これが意外と難しいんですよ。ネットの普及で口コミや星で作品が評価されるようになっても、やっぱり難しい。なぜかって言うと、いくらつまらない作品でも「信者」がついてしまえば高評価になるんですよ。
 どういうことかって言うと、(名前は出さないんですけれども)とある映画化した小説がありまして、ちょっと気になって読んでみたんですよ。そしたら作家の橋くれとして恥ずかしいと思ってしまうくらいひどい作品で、物語の登場人物の心情を一切考えずに、作者の主義主張をひたすらに展開してって、全てがうまくいくかのようにご都合主義を積み重ねていったような物語だったんですよ。こんなものが出版されて映画化されるのかと今でも印象に残っているですけれども、これかなりボロクソに言われてるだろうと——少なくとも1/3の人はボロカスに行ってるんじゃないかと思ってAmazonのレビューを見てみたんですけれども、もうみんな大絶賛で。しかもレビューの一つ一つを見て見ると、まだ読んでない人とかもレビューしてたりするんですよ。好きな俳優が映画の主演やるので星5にします、みたいな。このとき、Amazonのレビューって全然参考にならないんだなって思いました。

 もちろん僕の感性がおかしいという可能性は全然あります。けれども大切なことは、どうしてこの作品がダメなのかっていうのをしっかり言葉として表せないといけない、ということ。これが作家になる上で、一番大切なのかなと思います。じゃあどんな作品が良作か。ここからは僕個人の意見としてお話をしていくんですけど、1つはやはり登場人物が突拍子もないような行動をとる時、いわゆる作者が物語を操作しちゃっている作品は物語が操り人形にされていて、すごく可哀想に思ってしまいます。
 あとは文の構造ですかね。これは最近の商業小説にすごい多いなと思うんですけれども、最近の商業小説ってすっげえ脱線して行くんですよ。この脱線って手法は本当、神からの祝福がないと無理っていうくらい無謀な表現方法で、なぜなら脱線した瞬間に物語が1回止まるんですよね。読者としては物語の未来のことが知りたいのに、過去のことをずっと延々と説明している。本当に読者の時間を無駄にしようとしているように感じて、しまいには印税をたくさんもらうためにやってんのかなと勘繰ってしまいます。僕はよくオーディブルで小説を聞くんですけれども、聞き始めて10分くらいで回想が始まるようだったら切ったりしていますね。
 別に1パラグラフ分くらいの回想だったら全然いいんですけれども、2、3ページくらい回想が続いていたり、現在に戻ってきたと思ったまた回想が始まったり、というようであればちょっとなって感じになります。

 こんな感じですかね。いかに傑作をたくさん読むか、そしてそれがどうして傑作と呼ばれるのかを分析することが作家になる近道だと個人的には考えています。それに気づいてから、腕はかなり上がりましたね。まぁ、まだ無名のしょうもない作家の戯言なんですけれども笑。もしよければ参考にしてみてください。

 トマスについてはまたどこかで話をします。

 というわけで今回はこれぐらいで。
 お疲れ様でした。



4件のコメント

  • まぁ、読めば良いと言うものではありませんが、拝読していたりお話していて「この人はあまり本を読まない人だな」と感じることはありますね。
    もっとも私自身も大した読書量ではありませんが。
    自分の楽しみのためではなく、創作の勉強のために読むなら分析しながら読んだり、文体を模倣するなどの工夫が必要でしょうね。
  • コメントありがとうございます♪
    創作力の上達は本当に百人いたら百通りあるくらい人それぞれなよで、自分にあった方法を自分で見つけるしかないと思います。
    だからこそ、本を読むべきか読まないべきかで対立するのかな、と。
    ただ、おっしゃる通り本を読んでいない人は文章などを見ると透けるので、そう考えると一定量読むことは必要ですね。
  • 初めましてで、突然のコメント失礼します!
    「最っ高に面白い物語」面白かったです。
    星新一のようなショートショートで、エンタメ性があって。
    私も本が好きでそれなりに読んできてましたが、自分がいざ小説を書こう、と思った時、なかなか自分の思うようなものが書けないんですよね。
    それは、やっぱり名無さんがおっしゃられているように、傑作と言われている作品は、何故、傑作と言われているのか、
    駄作と言われる作品は、どこが駄目だったのか、
    というところを突き詰めて研究してこなかったからかな、と思いました。
    私も、密かに作家になるのを夢見てますが、まだ自分が本当に書きたいものは何なのか、が分からず迷走中です。
    それなりの文章は書けても、他から突出したオリジナリティを出すのって難しいですね。
    どうしても、今まで自分が触れてきた作品の数々から影響を受けてしまいます。
    名無さんのお話に大変共感したため、ついコメントさせて頂きました。
    ちなみにその面白くなった映画のタイトルが非常に気になっています(笑)。

    脱線の話は、回想のこととお見受けしました。
    私も少し調べたことがあるのですが、回想は読者に避けられる傾向があるみたいですね。
    回想シーンを出す場合は、その後のシナリオに重要なキーとなる部分が隠されているから、という時だけしか使ってはいけないようです。
    何故、主人公がそんな決断をしたのか?それは、過去にこういうことがあったから~という時とか。
    それを聞いて、私も極力気を付けるようにしようと思いました。

    説明文もこれと一緒で、話の流れを止めてしまう長い説明は、NGですよね。
    いかにエピソードの中で表現するか、というところも作者の腕の見せ所かなと思います。
    最近読んだ小説で『竜胆の乙女』という電撃文庫大賞を受賞した作品があるのですが、これはそういう話の展開スピードがとてもちょうどよい作品でした。

    初コメントなのに、長々と、しかも偉そうに、、大変失礼しました。。
    作品に関する話ができる方って貴重ですので、つい嬉しくて。
    良ければ、今後も絡ませて頂けると嬉しいです!
  • お返事遅くなり、申し訳ございません。
    しばらく低浮上だったもので、、、

    長文のコメントありがとうございます。また、拙作をお読みいただき、ありがとうございます。

    僕が小説を読む際に意識しているのは、もっぱら「構成力」と「演出力」になります。どのように緩急をつければ読者は集中して読み続けられるか、どんな表現をすれば読者はキャラクターに愛着を持てるか(もしくは敵対心を抱いてくれるか)、などを考えながら(もちろん楽しみながら)読んでいます。
    書きたいものが分からない、というお悩みについては(名も無い端くれが言うのも何ですが)これはひたすら沢山書くしかないと思います。「何を書きたいのか分からない。でも、何か書きたい」という衝動は作家になるために必要な立派な才能です。ひたすら書いて、「結局この物語は何が言いたいんだ?」と考えて、それを何回か重ねてようやく見えてくるものだと思います。
    既存作と似通ってしまうのは仕方ないことです。なぜなら人間はパクリながら(学習しながら)成長するのですから。むしろ、作品の中にオマージュとして潜り込ませると、それに気づいた読者は「これって俺だけしか気づいてないんじゃね?」とコアなファンになってくれる可能性があります。全然、恥ずかしがることではありません。むしろ、堂々と出すべきです。(ちなみに拙作でも「What's Done Is Done」のタイトルはSeven Lionsの同名曲からもらっていますし、「トマス・プランテーション」資料7にはRADWIMPSの「会心の一撃」のサンプリングをしています)

    ノートで言及した小説のタイトルは申し訳ないのですが、その作品の名誉のためにも伏せさせていただきます。ちなみに映画の方はあまり評判が良くなかったみたいです苦笑

    脱線に関しては必要なもののみ使う、と言う意見には同意します。ただ、必要だからといって一箇所に集中させてしまうと、読者は「うげっ」となるので、どこで必要か、どうやって入れるかは考えなければいけません。それはまさに作家の腕の見せどころですし、読書の際に意識すべき点かな、と思います。
    ちなみに、この脱線を神がかり的に成功させているのが「トリストラム・シャンディ」です。笑えるくらい心地よい脱線が行われていますので、ぜひご一読ください。

    長文失礼いたしました。
    もしよければ、作品のコメント欄でもお伺いできたら、と思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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