お久しぶりです。
新作、「海の渇き」「月明かりの階段」を投稿しました。
しばらく小説を書けなかったのですが、少しその話を書こうかなぁと思います。近況報告をかねて。
私は、小説を書くのが怖くなりました。
私と作者と作品の関係って、何なんだろう。
完全に切り離せるものか?と言われたら、そうではないと思います。むしろその作品の生い立ちによるとも思います。
いろんな視点から読むことで深みが出る、そこが小説の素敵なところだと思います。
けれど、それで作者でも作品でもなく、私に対する何かが飛んでくるのは、すごく怖い。
この1年と少し、自分の周りでいろんなことがありました。
愛情を武器にするなんて、あまりにもひどい。作品を読んで、作品でも作品群としての作者でもなく、私を語るのは、あまりにもひどい。土足で人の心に入っているみたいに感じる。そういう意味での「好きだ」なんていらない。
怖かった。
もう執拗に愛なんて語られたくない!
こんなに傷つけられて、それでも作品を生み出した責任として、その言葉を聞くべきなのか?
同じようなことが何度もあった。書くのを憚られるようなこと、逆恨みじゃないか、と思うこともあった。苦痛でした。
作者を離れて、その先にいる私一個人に何かを主張する。正直、私の小説が、私に主張するための介在物でしかないのなら、たまらなくつらい。それはそれでありなのかもしれないけど、私は悲しかった。
一番まいったのは、それらの事柄を通して、よりいっそう自分を嫌いになるということでした。こんなことを引き起こす私ってなんなんだ、だらしないんじゃないか、と。
私は、友人でもないのに私を語られたくない。
小説を書くことが、やがて生の私を語られることに繋がるなら、私はもう書かない。
もう書かなくてもいいかな、なんて思いました。
結局、書きたい心がまさってしまうのですが。
線引きの難しい話なので、ずっと控えていたのですが、ひとつの記録として。ずるいと言われても仕方ない側面はあると思います。事実、私を語られるということを通して、いろんな言葉に突き落とされたと同時に、救われたことだってある。
結局、書きたいので書いていくんだと思います。
この1年、少し危なかった気がする。自分の言葉を自分で殺すところだった、気がしています。
数年後には、軽く笑い飛ばすところにいたい。