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「写真の森の迷子」補足

同タイトルで「六月の本棚」に 写真について書いてみました。

実は私は、写真がすきではありませんでした。
正確に言うと、自分が写されるのが、苦手でした。

旅に出た時、その場所の空気を感じたい、感じ取りたいと
自分を同化させたい、捻じ込んでみたい時に
こっちを見て、笑って、と言われて中断させられるのが嫌いでした。

一緒に旅した友人が、ポイント毎に、ねぇ撮ってと言うのに応えて
カメラのボタンを押さなくてはいけないのが苦痛でした。
なんて、友達甲斐がないんだろうとわかっていながら
だんだんと不機嫌になっていく自分がいる。我儘でした。

少しずつ、自分は一人で行動する方がいいな、と想い始めていた。

そんな時に父がふらりと出かけて手に入れて来てしまった一眼レフ。
しかも、ほっとかれてる。
不憫に想って、いや、初めて見る機械に魅せられて
結局私は嫌いだった写真の世界に足を踏み入れていく。

そこには、色々な世界があって。
それまで思っていた美しい写真の概念とは別のものが存在した。
人物は最初からだめで。じゃあ、行ってみたくなるような風景写真。
最終的にそういうものとは別の道を模索しはじめて
「ポストカードみたいだね」と誉められれば
それは自分がめざす道ではないような気がして、嬉しくなかった。

旅に連れて出た。相棒のように。
自分が構えたら、もうそれは撮られるより楽しくて。
自分が撮りたいものを撮るのなら、こんなに面白いものはなくて。

それで、語りたくなったら、もう収拾がつかなくなっていました。
この回、何が言いたいか、わかりませんね。
広げすぎて、もっともっと色々書いていたのですが
余計にごちゃごちゃになってしまって、かなり削りました。
きっと、これからも私の書くものに、ちらちら顔を出すでしょう。

ここまで書いたら、もっと撮らなくちゃな。
デジタルに移行して、気に入った一枚すら撮れていないのだもの。

10件のコメント

  • こんにちは!
    写真の森の迷子読ませていただきました。そして上記の補足も読みました。私も写真に撮られるのは嫌でしたね、もっぱら撮る方に回ってました。しかし、写真撮影にはまる、ということもなかったのです。
    それから日常的に目にするような写真、展示会(?)などでちらっと見かける写真たち、そういったものにも惹かれたことがなかったんですよね。
    こういうのはやはり出会い方とか波長とかがあるんだろうなぁ、としみじみ思いました。
    個人的に思うのは、こんな写真が撮ってみたい!という目標とか、
    こうすればもっといい写真が撮れたのに!という向上心的なもの、
    そういうのがなかったせいだろうな、と感じました。

    ただ究極超人R(知ってますかね?)という漫画は好きで、写真部は面白そうとは思ってました。
    ちなみに大学では映画研究部で8ミリ撮って遊んでました。

    などとこちらもまたとりとめのない……
    ではまた!
  • > 二尋さん。

    ありがとうございます。
    折角いただいた疑問を更に混乱させてしまっただけの気がしますが。

    旅をしていて、写真を撮る時間が、言葉を、思考を邪魔してる。
    ずっと、そう想っていたんです。今この気持ちを覚えておきたい。
    でも、写真撮るようになったら、自分は対峙している。
    言葉のために撮っている、そんな感覚になってきて。

    嫌いなものがすきになるって、不思議な気がしました。
    出会いやきっかけは大切ですよね。何に自分が反応することになるか
    今後の人生も、どうなるか、まだわかりませんよね!

    むむ、究極超人Rとな。超人といえば、ハルクかロック。笑
    ググル人。おお、時代を感じさせる少年サンデー。
    昔は写真部のこと「光画部」って呼んでたんでしょうか。くすくす。
    私が写真にめざめたのは20代後半からですから、めちゃ遅いです。

    それより、二尋さんの映画研究部、そして8ミリ!が気になります。
    相当な趣味人じゃないですかっ。どんなの撮っていたのでしょう。
    やはり、すきな女の子かな。いや、神社仏閣だったりして。
  • またまたこんにちは。
    写真と言葉とのコラボですね。
    なんとも楽しそうな感じがしますね。
    絵本の写真版みたいな感覚ですかね。
    そういえばそういう本って見たことないですね。
    そして好きなものとの出会いはやはり理屈じゃないですね。
    私にとっては洋裁もそうでした。
    今でも自分が着る服にはほとんど興味が持てません。
    でも作るのは好き。

    8ミリはコメディーのようなホラーのような短編撮ってました。
    それこそモンティパイソン目指したのですが、無理でしたね……カラフルな出来事とは無縁でしたが映画作りをしたようで楽しかったですよ。
    ちなみに8ミリは金がかかるんですよ。フィルムは高いし、現像代は高いし。時間もかかるし。
    だから無駄なシーンをとらない。
    それは今の小説の構成に通じてるかも……
  • 写真ってよくわからないんですが。
    私は日常的にどこへ行くにもカメラ持参です。
    スマホじゃダメなの。
    だからと言ってごついカメラもダメ。
    手のひらに収まるやつ。
    今使ってるのは12万画素。
    手にすっぽり入るから、どこにでも連れて行けるし荷物にならない。
    「あっ」って思ったらすぐに撮る。
    真冬の柿の木に一つだけ残ってる柿の実とか。
    秋の空に浮かんでる巻雲とか。
    花の上を歩いてるアリとか。
    ホントどーでもいいようなものなんだけど、その時に自分が「はっ」としたものを即撮るの。
    「記録」?
    そんな感じかな。日記の代わりみたいなもの。

    で、私も関川さんやなっちゃんと同じく撮るのは好きだけど撮られるのは大嫌い(笑)魂抜けたらどうしてくれるんだ!
  • > 二尋さん。

    洋裁が苦手な私でも、ちょこっとあこがれはあるので、わかります。笑

    写真と言葉のコラボで思い浮かぶのは、
    だいすきな池澤夏樹氏が エルンスト・ハースの写真に恋文をつけた
    「きみが住む星」です。こんな本を作れたら生きてた甲斐があります。

    あとは銀色夏生さんかな。彼女は自分で撮った写真に言葉をつけてる。
    それに、写真家の方たちは感性が鋭い人が多くて
    自身の作品につけるキャッチコピーや紹介文がもの凄く響く人がいて
    小説家もタジタジなものに出逢えたりします。

    それこそ、映像はその総合的な世界ですよね。
    お、まさかのモンティ・パイソン! あの独特な世界観
    英国コメディの最高峰(勝手に)めざそうとしてるだけで偉い!

    8ミリも、今やフィルムカメラも、もうただの贅沢です。
    一部のリッチな方たちのものです。うちの写真現像機、誰かもらって。
  • > 如月君。

    そう、君のその「写真ってよくわからない」の一言がきっかけで
    あ、何か言葉にしてみようかなと思って書いたのですが
    想いがあちこち飛びすぎて、難しく書きすぎてしまいました。

    言いたかったことは、そんなことではない気がする。
    本当は、技術は二の次であって、いちばんは 写したいという気持ち。

    だからね、君のような写真の撮り方が、一等いいって思うの。
    あれこれこねくり回すより、原点の「記録」
    意図が見え隠れするものより、素直な心。さりげないささやき。
    私は君が自然のいきものたちに向ける やさしい写真がすきです。

    ペルーに行ったツアーのメンバーで帰国してから、集まって
    写真を見せ合ったことがありました。その時、いちばんすきだったのは
    コンパクトカメラで撮ったある人の素直な写真。
    なんだろう、魔法がかかったみたいに生き生きしていて
    特に何もしてないのに、すてきだった。やっぱりその人のセンスかな。
    どんなにいい機材を使っても、響かない写真もあるからね。

    私は一定の期間、撮られることもしあわせだった時期があります。
    写真の師匠が撮ってくれた私が 自分なのにすきになれたせい。
    仲間がカメラに向かなくても、自然な姿を撮ってくれたせい。
    ああ、今は、また逃げ回っていますけどね。笑
  • > あ、遊民さん。

    先程は、勝手なことをツィートしちゃいまして、気分害してないかな。

    写真の写し方みたいな初心者向けの本、ありますよ。
    カメラの説明書的なの。でも、遊民さんなら、何も見ずにいきなり
    実践に向かった方が、似合ってる気がする。
    とりあえず、押しちゃえ、みたいなの。

    わかります。私も未だに恥ずかしいのです。
    この時「おらは田舎者だから、何でも撮りたいんだ」的か
    「ちょっと撮影してるの。私、フォトグラファー」
    (その割に構えがつたないからすぐわかるはず)という
    その場に合わせたシチュエーションを想定するのはどうかしら。
  • ええっ?
    「写真ってよくわからない」の一言がきっかけだったの?
    (どーもすみません!!!)
    露出とか絞りとかレンズとか、なんだか難しい話がとても分かり易く書いてあって、カメラの教科書みたいだった。

    よく街中で大きなカメラを構えてる人がいるよね。
    構えもサマになっててカッコよくてさ。
    私が写真撮るときって、とても他人様には見せられないんだ。
    一昨年だったかな、下鴨神社の糺の森でイトトンボを見つけたのね。
    普段の癖ってついうっかり出るんだよね……。
    「お~、なんて美しいんだ君は。実に美しい。ちょっと写真撮らせてね、じっとしててね、いい子だね、うあ~、綺麗だ、ほんと綺麗、ハイ、終わったよ、ありがとうね」って、ハッと周りを見たらおじいちゃんとか笑ってんの。
    おばさんが「いい写真が撮れましたか?」って声をかけてくれて、照れながら「はい……」って、メチャメチャ恥ずかしいし!

    レンズを通して何かを見ている時って、自分じゃなくなるような気がする。周りが見えないというか、周りの事がどうでも良くなる。(それで一度、山で沢に転落しそうになったこともある←アホ)
    だから私の場合はとても気を付けないとヤバいんだ(汗)
    (あんなところに美しすぎるワラビが生えているのがいけないんだ←責任転嫁)
  • > 如月どの。

    そだよー。そして二尋さんにまったく同じことを聞かれたから
    これは、このテーマ、今書く運命だなって。笑

    いろんな視点で書いてみようとして、1話で収まるはずもなく
    また思いついたら、いつか書いてみようと思える課題になりました。

    今ってさ、ファインダー覗かなくても、スマホみたいにかざして
    撮れちゃうじゃない? でも、私は小さな窓から撮りたいの。
    私のも一時期の重装備じゃなくて、気軽に撮れる一眼レフになって
    こころも軽く撮れるようになってきているよ。

    イトトンボの写真、すき。愛に溢れていて。
    如月は小動物界のムツゴロウさんのような感じだよね。
    実は白髭がヤギさんのように生えたりして。くすくす。

    写真撮ってる時に周りを気にしないって、羨ましいことだけど
    命は大切にしてねー。滝に落ちたり、川に流されないようにね!
    (葉月先生が撮影に夢中になるって回、どお?)
  • > 遊民さん。

    誤読かぁ。私、よく言われます。ちゃんと読んでって。
    そういう意味じゃないよって。思い込むタイプだからやってしまう。

    そして、webならではの書き換えてしまう話、考えちゃいますね。
    前に読んでこうだと思ったことが、そっと変わっていたら
    頭の中、大混乱になるだろうなぁ。ミステリーだ。
    あなたは面白いことを考える人ですね。奇想天外。

    私は余程意識しないと、自分以外の視点を使わない一人称人なので
    視野が狭いなと感じることがあります。今度やってみよう。

    お気に入りのカメラが側にいると、撮るの楽しくなるかも。
    すきなのと出会えるといいですね!
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