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季節をめぐる文章

シンプルな画面がいいなと、カクヨムで書き始めたのは 2月の頃。
3月になって ああ、場違いなところに来てしまったなと 感じてた。
ラノベも 今のファンタジーも ホラーも 馴染めない私には
ここは、結局 身の置き処がないように思えた。

でも少しずつ、その他や現代ドラマに、どこか自分と通じるような
そんな作品を見つけて、ああ、この辺りになら
私も いていいのかなと 思えるようになってきた。

だんだんと 分野関係なく 通じ合う人たちとの交流もできて
言葉だけじゃなく、何処かで 根本的な部分で
きもちや ニュアンスが繋がる会話ができて 嬉しかった。
マイノリティでもいいから、ここにいていいよね。って 此処にいる。

その他部門が 12月には 「詩・童話・その他」になるらしい。
自分の書く乱れた散文詩を 詩と呼ぶのには おこがましい。
童話と呼べるほどに こどもの目線に立っているわけでもない。
相変わらずの 「その他」ばかり書く人間であろう私だが
すみっこに いさせていただければ ありがたいな。



さて、その 「その他」 で 本当にだいすきな 作品があって
久しぶりに レビューを書いてみた。
拙くても、伝えたい時があるのです!

私も 四季にそって、季節を追って 書くのがすきです。
aoiaoiさんの「掬い上げるもの」を読んでいると
自分が追いきれなかった 小さな木漏れ日が
てのひらに乗って きらきらしているような
そんなきもちでいっぱいになります。ほんとに本になってほしい。

抒情的な文章や、風景が見えるような 奥行きを感じる文章に
何処かに 連れて行ってもらうのが すき。
そんな文章を読みたい。 そして、書いてみたい。

6件のコメント

  • こんにちは。

    「掬い上げるもの」への素晴らしいレビュー、ありがとうございます。
    本当に、言葉にならないくらい嬉しくて…心臓がどうしようもなく高鳴り、涙で思わず視界が滲みました。

    私、六月さんの感じることや、六月さんの選んだ言葉が、本当に好きで…自分の感覚と似ている…とすごく思うのです。済みません、似ているなんてとても失礼な話ですよね。
    でも、六月さんの作品には、私の好きな言葉や情景や空気が、いっぱい溢れているんです。

    六月さんの感性に驚きっぱなしなのは、私の方なのです。私は、あんな風に自分の想いを包み込んだ優しい物語は、きっと書けないな…と。

    エッセイをそんな風に読んでいただけて、私はこの上ない幸せ者です。
    これからも、少しずつ掬い上げ、積み上げていこうと思っています。
    よろしければ、どうぞのんびりとお付き合いくださいね。

    宝物のような言葉を、本当にありがとうございました。心より感謝致します。
  • > あおいちゃん。

    いえいえ、私はこの作品と出逢えて 読める幸せを 受け取っています。
    素敵なものに、自分が言葉を添えることの 難しさを感じつつ
    でも、何か すこしでも 伝えられたら。そう思って書きました。

    A君 B君も すきだけど、私はやはり「掬い上げるもの」を書いてる
    あおいちゃんの文章に あまりに魅了されていて
    ああ、こんな風に表現できる人がいるんだって、毎回 震えています。

    いつも 風景の中に 透明なあなたがいるように 感じます。
    ただ 自然に 翻弄されているのではない
    自分の足で 清々しく 凛と立っている姿が 見えてくる気がするんです。

    私の言葉なんて、とても敵いません。
    でも、きっとすきなものが似ている。それは 凄く感じます。

    きっとお互い、書くことは 絞り込む作業に似て
    決して気楽なものではないけれど、欠片のようにでも置くことで
    続けていける。勝手に そんな同志のような気持ちでいます。

    これからも 楽しみに待っています。
    そして四季がある国に生まれたことに 感謝したくなりました。
  • こんばんは♪

    ここにもまた、私の心にずっと取っておきたい言葉をいただいて…本当に泣いてしまいたいような、切なく、嬉しい気持ちで一杯です。

    そうですね。エッセイを書くのは、とても時間がかかって、悩んで、言葉を選んで…ちょっとでも気に入らなければ投稿する気にはなれないし、晴れの日に暗い題材は出したくなかったり…とても気難しい自分がいます(笑)

    六月さんは、言葉が降るように湧いてきて、悩んだりしないのでは?なんてすぐに思ってしまうのですが(笑)やはり、あれほど磨かれた作品にするには、並大抵でない苦労があるんですよね。

    苦しみながら、そうやって磨いた物を少しずつ積み重ねて…自分が何とか納得できる作品になっていったら、素晴らしいですね。

    六月さんの作品、これからも楽しく読ませていただきます!



  • > あおいちゃん。

    あは。全然 磨いてないよ。磨けてないままなの。
    きっとね、苦労も ぜんぜんしてない。私、自分に甘いんだもん。

    よくあおいちゃんが 折角書いたけど、出せないって言ってたでしょ。
    きちんと 自分を見つめる 厳しさを持った人なんだなって。
    最近やっと、それ、なんかわかるなぁって 思ってきた。

    私は少し前まで、勢いで わぁーって書いて ぽいって上げてたのね。
    雲のようなイメージで降りてきたのを 追いかけるように
    一気に書いていって、もうただただ 気持ちだけ、みたいに。
    だからよく、ノリで書いてるでしょ? って言われちゃう。
    そうなの。読み返すと、ああ、どれも独り言だなぁって 思う。

    でも、中には すぐに出せなくて、ずっと抱えているものもあって
    どこか引っかかって、いつか書けるといいなって。
    今はそんな 刺さった棘を 一本ずつ抜くような 感じで
    苦しくても 書いてみようとしているの。

    そんな時期も きっと自分にとって 必要な時代なんだと思っています。
    もう少し、私も 自分を 律してみよう。
    もっと言葉を大切に扱ってみたい。今は、そんな感じです。
  • 菜摘さん、お久しぶりです。おはようございます。

    先生のところから、あおちゃんのところに来ました。
    本当に久々にほっと息をつきました。
    皆さんから「まぁまぁ、どうぞ」ってお茶いただいた気分です。

    ときどき、自分の中が空っぽになってしまったような気がする時があるんですが、今はその時のようで、もがくみたいに本を読んでいます。
    ふっと全部なくなってしまう感覚は、子供の時からあって、ひたっと言葉が出なくなったり、考えていたことが霧散したり。
    もともと変わった子だったので、たぶん誰も気にしなかったんだと思いますが、自分では内心、あわわってなっていました。
    自分の中から、ちょっと待ってってサインが出ているのかもしれないなぁと思うようになったのは大人になってからです。

    稲刈りして少しした後の乾燥した田んぼを全力疾走すると、十センチほど残っている株に足を取られて、かなり余計な体力を消耗するんですが、それが子どものころは大好きでした。
    走って走って走りきると、自然に顔が笑って。その笑顔のまま家に帰ることができました。
    今でもときどき、あの田んぼを走りたくなります。

    よぉし。行ってみるか! タッタッタッタ……         ポテ (涙)
    稲わらって、けっこう痛いんですよね。
  • > 樹ちゃん。こんばんは。

    何やら、お勉強をされてたとか、読んだような。大変でしたにゃ。
    まぁまぁ、どうぞ。お茶でも。( ^-^)_旦""

    自分の中が 空洞になったようになる感覚、私にもあります。
    空っぽになったコップは、もう何か入れてほしくて もがき続ける。
    でも、のどが渇いていると 水(ビール)がおいしいように
    何かが 急激に吸収できる時も たまにあって。
    何かのきっかけで、また 書きたくなるような きもちになる。
    いつもいつも 前に向いて 進んでばかりはいられませんからね。
    あちこち揺れていることも、きっと必要なんですよね。
    自分がなにびとでもないその不安な心持も、いつか懐かしくなる。

    おおー、田んぼの刈り取りのあとの あれっ。
    そうそう、けっこう硬くて、そして引っかかりますね。
    草を結んだ罠と同じくらいの威力をもって、攻撃してきますね。
    そして、雨の次の日は、ふにゃって うすい茶色になってたりする。

    ああ、樹ちゃんは あの痛さを知ってる人なんだ。
    なんとなく、どうして気が合うのか わかる気がしてきます。
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