今日は、タイトルの ぽつんとした詩を 書いたり
めっちゃ英語を読んだり、また 何もかも ほっぽっています。
六月の本棚 第9話 「誰かの痕跡を探す」
タイトル、すごい悩んだんです。
なんか、大仰じゃない?って。
でも、つけてみたら、これしかないかもしれない。
そんな風に 想っています。
はじめて1話に 2000字 詰め込んだのですが
正直言って、駄文です。 長く書くとだめですね。
これを 画家さんに送っていいものか、
しばらく悩んで、結局 伝えたい一心で えいっと発信。
しちゃいました。 ご丁寧にお返事いただいてしまった。
ここでの レビューもそうですが、誰かのことを
書き終わると、1cmくらい 背が縮む想いがします。
先日、池澤夏樹先生の話を 書いたあと
ツィッターの 池澤先生の公式サイトに フォローされた時は
びっくりして、一気に恥ずかしさを 覚えました。
スタッフさんが 集めたデータをチェックされただけで
よもや ご本人の先生が 読まれたのではないと 思いますが
嬉しいと同時に、情報の伝達の速さに 戸惑っています。
*
自分というものは、何処であっても 自分にしかなれなくて。
私が書くものは、どうしても 私でしかない。
それが いいか悪いかは別として、器用じゃないから 仕方ない。
さらに、最近は やたら 私的な想いを込めて 書いているせいか、
詩や、私小説や、手紙の文ばかりに なっています。
明日からは、玻璃音のつづきを 書きたいなぁ。
今日、英語の詩を書かれている方に レビューを
送ったのですが、ふと考えたら、ここでも 私生活でも
私の大切な方たちって、K と Y と Nで ほぼ集約できることに
気付いてしまった。 これって、すごい気がする。
私は 友人は 結構いる方だと 思うけれど
ほんとうに つき合いたい人は そんなに多くいらなくて。
だからからか、一人への熱量が 多くなりがちで
交わす 言葉も 気をつけているつもりなのに
大切な人ほど 悲しませてしまったり。
ああ、もう、なぜそうなるーって。 反省。
私、すぐ調子に 乗っちゃう方だから。
だいすきな人なので、あとで謝りにいかなくちゃ。
でも、もう勇気でない、かも・・。
なんて言いながら、なんだよー。
こんなに 動揺したり、翻弄されたりしたくないよーって
ジタバタして、性懲りもなく、書きつけている。
ああ、今は そんな感じ、です。
失礼いたしました。 みなさま、お元気で。 Nより。