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台湾地震と自分の中にいる自分を見つける。という話。

ハロハロ深川です(´・ω・`)

突然ですが、人は生まれ持っての性質と、環境要因の二つによって作り上げられます。

同じAさんであっても、大都会の真ん中で育ったAさんと、アラスカの大自然の中で育ったAさんでは、価値観も、感じ方も全く異なる人になるでしょう。

それも含めて本人だと言えば確かにそうかもしれません。

ではこのようなパターンはどうでしょう?

無関心な親に育てられたAさん

厳しい親に育てられたAさん

一般的な価値観の親に育てられたAさん

甘やかしを受けて育ったAさん

過干渉の親に育てられたAさん


果たして出来上がったAさんはオリジナルのAさんでしょうか?


一般的な価値観の親に育てられたAさんが、最もオリジナルのAさんでしょうか?


そうとは限りません。


それぞれの親によって、伸びる場所、伸びない場所が異なるのです。


何不自由なく育った人は一見善良な人になるかもしれません。

劣悪な環境で育った人は、社会的には悪と呼ばれる人に育つかもしれません。


しかし、これは同じ人です。


一見善良な人に見えても、悪を行う機会や動機が無いだけで、悪人と本質は変わらない。


逆に悪人だとしても、良い環境で育ち、悪を行う機会も動機もなければ、善良な人に育ったかもしれない。


大事なことは何でしょう?


私達の中には、善と悪が存在するということです。

表に出るか、出ないか、それだけで、本質的には善と悪の両方を持っています。


善良な一般市民が暴徒と化したり、人を踏みつけて助かろうとしたり、そういうことは歴史を見れば明らかです。


自分の中にある、環境に寄らない善と、環境によって浮き彫りになる悪。

この二つをよく見極めなければ、本来の自分が持つ良さ(=善さ)はわかりません。


良い環境で育った人は、悪を行わず、良い人生を送っている。それは素晴らしいことで、幸せなことです。

しかし、酷い環境で育った人は、自分の中に渦巻く汚さを知っているとも言えます。

そのことに苦悩する場面もあったでしょう。

それもまた、代え難い体験です。

月並みな言葉ですが、痛みを知っている人は、人の痛みにも敏感です。

痛みの幅を知っている人は、その幅をもって、経験していない痛みにも、理解を示すことが出来ます。

悪を知ることは、悪を納めることに繋がります。

それは、この世界で一際輝く可能性を秘めています。


さて、長々と書きましたが、4月3日台湾で大きな地震がありました。

現地はまだ混乱の中にあるでしょう。

盗みや悪事が横行しているかもしれません。

苦境の中で輝く善行もあるでしょう。

石川に続き、台湾。

地球は今、激しく動いています。

備えが必要です。

命を守る備えも必要ですが、心の備えは出来ているでしょうか?

苦境に追いやられた時、悪に走らず、善を選ぶ準備が必要です。

自分の中にある弱さ、汚さ、おぞましさ、そういったものに、事が起こる前に向き合うべきだと、深川は思っています。

事が起こってしまってからだと、気付いた時には、自分は加害者になっているかもしれません。


人の中には善と悪がある。

本当の自分を知るというのは、何も自分の素晴らしい可能性だけではありません。

清濁どちらも見極めていきましょう。

俺も頑張る。
応援してる。


最後になりましたが、地震の被害に遭われた方々の無事と、一刻も早い復旧を願っています。

3件のコメント

  • 津波を引き起こすと聞きましたが、遠方のあなた方も気をつけてください
    (ง •̀_•́)ง
  • YaSha King様
    ご心配ありがとうございます!
    こちらは無事です!
    地震、津波ともに被災地の方々の無事を祈っています!
  • 深く、そして興味深い考察です。

    人間というのは、元々あった無色透明の像に、経験や知識という粘土を塗りたくっていくものだと考えています。
    まさにおっしゃる通りですね。

    善悪の定義に関してはこう考えてます。
    人間は誰もが欲望を満たすために行動する。その結果、誰かが幸せになればそれは善行であり、
    逆に誰かを不幸にするなら悪行である、と。
    孔子の有名な言葉「七十にして己の欲するに従えどものりを越えず」が教訓になってます。
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