アントン・チェーホフは次のように語ったそうです。
「もし第1幕から壁に拳銃をかけておくのなら、第2幕にはそれが発砲されるべきである。そうでないなら、そこに置いてはいけない」
この『チェーホフの銃』のことを、永井玲衣さんの著作『世界の適切な保存』の10・11ページを読んでいるときに思い出しました。その部分を引用します。
わりばしでアイスコーヒーかきまぜて映画になれば省かれるくだり(岡野大嗣)
これは映画だったら省かれるな、と思うことが、わたしたちの日常にはある。
(中略)
わたしたちの世界には、回収されない伏線が無数にある。映画や書物の中で、わりばしでアイスコーヒーをかきまぜたら、意味を持ってしまう。重大な事件を解決する鍵になってしまう。だからわたしたちはそれを省く。意味のないそれは、ただのノイズになるからだ。
チェーホフに従えば、小説の中でわりばしでコーヒーをかきまぜる描写をすると、そのわりばしをストーリーに使わなくてはなりません。たとえばそれで人の目を突くような恐ろしいシーンを書かねばならなくなります。
現実はそんなことはありません。コーヒーを飲もうとして、手近にスプーンがなかったら、わりばしでかきまぜることでしょう。
『世界の適切な保存』はさまざまな哲学的な考察に満ちた書です。「回収されない伏線」や「ただのノイズ」という言葉は私の心に刺さりました(ノイズにこそ人間の真実があると思いました)。