今週は
112話 すべてを持っていた日々①
113話 すべてを持っていた日々②
114話 すべてを持っていた日々③
115話 決戦!①
116話 決戦!②
117話 手が足りないなら、借りればいい
118話 姉弟の再会
上記の通り更新しております。少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。
今回のお話はアッシュの裏話ではなく、執筆していて気づいた創作論についてお話していきます。
もちろんこれは一個人の見解であり、押しつけたいわけでも議論したいわけでもありません。
そんな考えもあるのか、とゆる~く聞いてもらえればと思います。
小説のアクションシーンは読まれない。
と、あるフォロワーさんが話しておられました。確かにいくら文字で動きを説明されても、想像するには限界があります。
しかも細かく書けば書くほど、読者を混乱させますし、テンポを悪くするだけです。
だったらセリフだけかい摘まんで、どうなったかシーンの最後だけ読めばこと足りますよね。
これは私自身も書いていて感じたことです。自分が数年前に書いた小説のバトルシーンを読んでも、なにをしてるのかわからない部分がありました。
仕方がありません。
これが小説の限界です。
アクションは絶対映像でやったほうがいいに決まってます。むしろそこに言葉など不粋。
小説が得意なのは心理戦ですから、書くなら駆け引きや騙し合いを中心にしたほうがいいでしょう。
でもバトルは楽しい!
ハラハラドキドキする!剣と魔法こそ異世界ファンタジーの醍醐味!
わかります。
私もバトル書いてる時が一番アドレナリン出ます。異世界ファンタジーを扱うなら、バトル描写は欲しい。
だから私はバトルを主体にするのではなく、議論を主体にバトルを添えればいいのではないか、とアッシュを書いていて気づきました。
つまり黙々と剣を振るのではなく、
「それは違う!仲間こそ希望だ!」
とAは剣を振り下ろした。
「戯れ言を。お前の考えは甘い!」
Rは剣を受けとめ、なぎ払う。体勢を崩した相手に、すばやく反撃を入れた。
このように主義主張を言わせながら、その間をアクションで埋めるということです。
ミュージカルでもこの方法を使っています。単調になりがちな交渉シーンを、歌と踊りで見せ場に変えてしまうのです。
参考としては映画『グレイテストショーマン』。主人公バーナムがフィリップを勧誘するシーンは、はじめて見た時感動しました。
一分も観客を飽きさせないな、と。
他にもアニメ『機動戦士ガンダムSEED』。すべてのガンダムシリーズがそうなのか確認はしておりませんが、シードではバトル中、敵とやたら喋って舌戦を繰り広げております。
こちらはバトルも熱いので、見応えがすごい。
リアルに考えれば戦闘中、敵と喋ることなんてありません。集中乱れますし、余裕もない。
でもリアルに忠実である必要はありません。それでおもしろければ、読者の目を離さずに済むのなら、いいのです。
そしてバトル描写はなるべく簡潔にすること。こうすればより議論が主役になってきます。
テンポも良く、緊張感が増し、読者の混乱を防ぎつつ、飽きる前に議論がきてヌルヌル読んでしまううちに、アクションだけでなく人間ドラマにも熱くなる――という計算です。
心理戦か舌戦+簡潔アクションか。
小説で有効的なバトル描写は、このどちらかと思います。異論は認める!
ここまで長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
年内の近況ノート投稿はこれで終わります。次回は年明け1月4日です。
アッシュについて話したいことは、あと一つあるのですが、該当シーンがだいぶ終盤なので、いったんアッシュの話から外れ、創作論の話をするつもりです。
もしくは……。
なにか語って欲しい創作話があれば、コメントください。モチベ維持どうしてるの?とか。プロット書く派?とか。キャラシーどこまで練る?◯◯についてどう思う?とかとか。
できる範囲で答えさせて頂きます。
では良い週末を!
そして良い年末をー!