こんばんは。万怒羅豪羅です。
いつも作品を読んでいただき、ありがとうございます。
小説の内容を一部修正したのでそのお知らせと、
いくつかご質問をいただきましたので、その内容にお答えしたいと思います。
まず修正箇所ですが、2章7-3、10-2、5章12-2、13-3になります。
内容としては、2章に登場したルーガルーの伴侶となった女の容姿を、黒髪から赤茶色の髪へと変更、
また5章に登場したライラの母と兄アルフの髪色について、赤色であることを明記しました。
”赤毛”は今後重要な要素となると判断したため、今回の修正をさせていただきました。
次にいただいたご質問についてです。
Q:今から処刑する勇者になぜわざわざエゴバイブルを渡すの?
A:エゴバイブルには重要な機能があるから。
エゴバイブルは、勇者のナビゲーターであるわけですから、処刑予定の者に渡すのは確かにおかしな話です。これには、エゴバイブルが持つ真の役割が関わってきます。エゴバイブルには”とある機能”があり、それは召喚した勇者の”安定化”に大きな影響を及ぼします。王家はそのために、召喚した勇者にはとりあえずエゴバイブルを与え、その後で勇者の適正を審議するというプロセスを踏んでいます。桜下がアニをはじめから所持していたのは、その為です。
Q:ロアはどんな勇者なら納得したの?強い勇者が欲しいんじゃないの?
A:いざと言う時に殺せるならOK。
勇者召喚の目的は、魔王を倒すこと。それなのに強い能力を持った勇者を処刑していては、確かに本末転倒ですね。この見極めについては、ロアたち王家も頭を悩ませている点です。弱い勇者は制御は簡単ですが、魔王討伐には向きません。かといって強すぎると、セカンドの二の舞になってしまいます。そこでロアたちは、「さいあく勇者と戦うことになった場合、討伐が可能かどうか」で処刑するしないを判断しています。例えば一の国の勇者クラークの場合、強力な雷魔法を有していますが、彼はあくまで一人の人間です。三日三晩囲んで集中砲火を浴びれば、さすがに持ちません。一方で桜下の死霊術のような、「一人ではなく群体」となるような能力には、過剰な恐れを抱いています。ロアたち常人は数でしか対抗できないのに、その数の有利すら覆せる能力だからです。
Q:一の国の勇者クラークは召喚当初反発しなかったの?
A:ぜんぜんしなかった。
桜下は召喚当初、絶望に打ちひしがれ、まったく現状を受け止められませんでした。では、クラークは?クラークも召喚直後は面食らっていましたが、実にすんなりと状況を受け止め、勇者としての役割を積極的に受け入れました。彼の場合、「正義」に異様なまでにこだわる性質と、一の国が勇者をめちゃめちゃに持ち上げて歓迎する風習があることががっちり噛み合った結果、ノリノリで勇者の道を進むことにしたわけです。彼がまだ子どもだということもありますが、各国も勇者が”乗りやすく”するように工夫を凝らしているので、そのせいもあるかもしれません。……しかしともすれば、それは”目隠し”を付けたまま冒険をしているようなものなのかもしれませんね。
長くなりましたが、今回は以上です。
最後になりますが、ご質問ありがとうございました。筆者の中にしかなかった世界が皆様の中にも広がり、そこに疑問が生まれたということに、一人感動しています。ものごとを一しきり理解しないと、質問ってできないものですもんね。物書き冥利に尽きるありがたい話です。
では、また。