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ラノベから「友情物語」が消えてる気がする

・『暗黒竜の渇望』
・『ベルダージュの勇者』
・『吸血の勇者ユーリル』
・『瓜子姫と天邪鬼の冒険譚』

これらの共通するものは「友情」が大きなテーマです。萌えがブームになった約25年前からあるものが消えました。それはラノベに必ずあった「友情」という人間として当たり前の感情が抜け落ちた事です。
萌えブームから異世界転生ブームになると「俺ツエー・チート・ハーレム・婚約破棄・ざまぁ・溺愛・聖女」ですからもう完全に自分だけの世界です。そこには無償の友愛で人を助けるという「愛」がもう無いんですよ。無いから中高生は児童書やライト文芸に逃げたのだし。恋人未満/友達以上という当たり前の表現も出来ない。そこにあるのは氷河期世代の悲哀と復讐と異世界転生願望です。溺愛だって一方的な愛情渇望です。友情ではありません。

昔アルシンドがCMで言ってた「友達なら当たり前」って後に東日本大震災の時に本気でこの言葉をアルシンドが実行するのですが日本人はこの人間としての「当たり前」の感情が抜け落ちてしまったのではないか。下手すると「ステータス、オープン」という数字でしか見れないほど「EQ」が低下したのでは。

だから●●県知事のようなモンスターも誕生してしまうのでは。我々日本人は「家族愛」も「友愛」も失った民族かもね。なぜなら純文学ですら最近「友情」や「家族愛」という当たり前の心情表現が抜け落ちてるから。

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・困ってたら人の足元を見ない
・困ってたら手を差し伸べる
・お願いという名の強制はしない
・友達に対価を求めない
・友情は恋愛ではない
・友情は「いいね」の数で誇る物じゃない
・友情は一方的な愛じゃない
・友情はコミュニティーの場ではない
・友達に上下関係はない
・助けてもらったら恩を返す

それが「友達なら当たり前」

「友達なら当たり前」って言葉の意味すらも分からない(頭で分かるのではなく心で分かるという意味)のだから日本人は度し難いね。

家族愛もそう
・婚姻届けを出して子供を産んだら家族というわけではない
・家族愛は上下関係ではない
・困ってたら家族の足元を見ない
・困ってたら手を差し伸べる
・お願いという名の強制はしない
・子供や親を利用しない
・家族はステータスじゃない
・家族愛は恋愛でも性愛でもない
・家族愛は一方的な愛じゃない
・離婚したら傷つくのは子供ということを理解できる
・家族と言うのは全員が乗り越えてはじめて家族愛が生まれるんだ
・助けてもらったら恩を返す
・先祖代々を敬う
・家族は「モデルハウス」や「展示場」で暮らす人を指すのではない
(白い結婚は結婚じゃない)
・子供はペットじゃない

それが「家族なら当たり前」

実はどっちも同じ感情だけどもうTVからファミリードラマが消えて久しいだろ?それ「家族愛」ってもんがもうこの国では描けないって事だ。だから漫画原作の虚ろな画像しか映せない。そこにはもうリアリティーがない。

2件のコメント

  • 「友情」を実感として感じ取るのに大事な事。

    それは「人間が好き」だという事だと思うのですよ。


    人間嫌いには友情なんて得るべくもない。だから今のラノベは自分ばっかりがいい思いをして、自分から他人に仲良くなりに行くという発想が無い。
    だから自分だけが特別で、他人はみんな自分の「下」もしくは「都合のいい存在」みたいなお話ばかりになる。

    お前ら、もっともっと人を好きになれよ、って思いますよね。
  • そっかー
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