• 創作論・評論
  • 歴史・時代・伝奇

なぜ『暗黒竜の渇望』はああいう最後なのか

『王書』(シャー・ナーメ)のロスタム編というのはイラン国民のほとんどが内容を暗唱出来、悲劇の勇者ロスタムが大人気でロスタム編のアニメを流そうものなら視聴率50%は行くとも言われます。そんなロスタムはなんと親戚同士で殺しあって落とし穴に落ちて終わるという最後なんですが、私この最後に疑問ありまして……。ファリードゥーン編もそうなんですけど……。

みんな勇者、勇者とほめたたえながら周りは何もしない。都合が悪くなると勇者をなじる。それでいながら勇者が死ぬと悲しむ。どうしようもないな、こいつら。

勇者ロスタムはもっと世に怒っていいしたぶん、これペルシャ古典文学『王書』の本当のお話は「ロスタムの闇堕ち」なのではないか?ということで実は第五部は加筆してオリジナルの部分を加えているのです。

なので『暗黒竜の渇望』は最初だけ読んでブラバしないで……。

光と闇の戦いで最後は人類は光を選択して正義が勝つという人類初の一神教ゾロアスター教が根底となってる『王書』ですが2023年になってもそうはなってないどころか人類はより愚かになってるわけでして。闇が勝ってるとも言い難いですが。

なので、ああいう最後なんです。

みなさんも興味あったら読んでくださいね!

ちなみに第一部は『王書』の内容にすらたどり着いていません。王書の内容をなぞるのは第二部からなのです。

また姫様を褒賞品のように扱う『王書』の内容にも大変疑問でして……その部分は第三部で変えております。私が姫様なら切れますね。それはお前がイスラム中世ではなく現代に生きてるからだろうと言われたらそれまでですが。

(※「王書」は古代末期にあたるサーサーン朝ペルシャの王列伝で終わりますが実際に「王書」が編纂された時期はサーサーン朝ペルシャ滅亡後でペルシャの国教はイスラム教シーア派となった後の中世初期の時です。なお、姫たちは嫁ぎ先がジャムジード王→ザッハーク王→ファリードゥーン王と3人に渡っています。姫たちはよく自害しないものだと逆に驚愕しました)

イラン革命が起きた時に皇帝パフラヴィー2世を「ザッハーク」つまり魔王の化身と国民が罵ったことがあります。1979年の事です。パフラヴィー2世を抗議する絵には両肩に蛇が生えている絵を掲げました。ということは「邪悪」・「魔王」ってのはいつの世にも表れるというのがイラン人の思想の根底なのではないか?

そこまで考えて2008~2012年に『暗黒竜の渇望』を執筆したのです。

それとも未来に行けば宇宙時代となって人類の愚かさは消えて「光」の側が勝つという歴史になるのかなあ? 私は人類の未来がそうなってほしいと願うのですが。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する