遅れてきた夏休みを取得し、志摩まで車を走らせる。
一人で(本日のオチです)。
23号線を走る車は、不思議なことに、白と黒のモノトーンで形成されていた。
TANTO、N.one、AQUA、PRIUS、SKYLINE、みんなみんな、白か黒。
それだけ馴染みのある色なのか、もしくは、いずれ手放す際の下取り価格まで意識してのことなのか、わからなかった。
都市部に近づくと途端に訪れる渋滞を超えた何度目か、鳥羽方面への分岐点を滑るように超える。
田園風景が広がり、遠くに見えていた山が、どんどんと視界を圧迫していった。
灯篭じみたオブジェには、「無事カエル」と祈りをこめたメッセージ。それだけ事故が多いのかもしれない。
トンネルを抜けると、再び「無事カエル」のオブジェが視界を横切り、思わずループを体験したのかと驚いたが、きちんと目的地には近づいていた。
鳥羽水族館を通り越し、伊勢志摩スカイライン、通称パールロードに入ると、山林と海岸を縫うように開かれた道を通ることとなる。
右右左また右というように、うねうね動く蛇のように張り巡らされたカーブが続き、左に並ぶ木々から、海のカケラをつかまえたら、伊勢湾を拝める高台まで近づいている証拠だ。
ラルクの「Drivers High」が流れる。気持ちもアクセルも、全開へと切り替わる。
海を望める山道を、ぶっとばす。
法定速度で(チキン)。
エンジンが吹き上げる鼓動、さらに踏み入れ、山道を昇る、昇る、昇る。
突如出現する右折レーンに入り、円を描くような道を進むと、レストハウスと、眩い海が迎えてくれた。
雲ひとつない青空であれば、富士山すらもその姿を現してくれるというのだが、あいにく、水平線の先には、真っ白なもやで覆われていた。
人には見えない、わからないところに、ひょっとしたら夢にまでみる、異世界が広がっているのかもしれなかった。
西側にまで視界を広げると、大小にならぶコブが緑に覆われている、島の姿を見つけることができた。
三島由紀夫の小説、潮騒の舞台となった神島、というらしい。
詳しいことは読んではいないので知らないが、何もない故に、三島由紀夫はこのひっそりとした島を舞台にしたという、ことらしい。
何もないところから利点、美徳を見つけられる。
なんでもないところに、喜びや発見を見出せる。
そんな人物になりたいと、羨望した。
鳥羽の展望台は、閑散としているながらも、とても美しい光景をプレゼントしてくれた。
パールロードの景観を楽しみ、展望台から海を眺めることも目的の1つだったが、最大の目的は、もう少し先にあった。
志摩市大王崎町の端っこ、海と岬に囲まれた丘陵の先端に立つ、白い塔。
大王崎灯台。
王崎と熊野の間に流れる激しい灘から、船を導くために建設された。
23メートルの灯台は、海風に晒されていても清潔な白さを保っていて、勇敢さを感じる。
灯台の前に立つと、眼前の海から放たれる、圧倒的な磯の香りが、日常からの脱却を予感させた。
内部にある螺旋階段を1分程かけて昇ると、迎えてくれたのは清々しいくらいの海風だった。
海上にはゴツゴツとした岩が巡り、先にあるのは限りない水平線だった。
ジグザグとした海岸線を見ていると、模型くらいの大きさを保った飛行機が頭上をすり抜けていった。
海面はキラキラと輝いており、ざざーざーざざざーと不規則な波音が心地よかった。
直射日光に当てられているにも関わらず、運ばれてくる風の涼やかさで、うだるような熱気は吹き飛ばされていた。
じっと眺めて、世界の動きを感じていた。
やがて他の観覧客がやってきたので、独占することを、心苦しく思って、名残惜しい気持ちを残して、灯台を後にした。
波切神社に続く石段を登っている最中、小さな参拝客とすれ違った。
茶色三毛猫が、ベンチの上を我が物顏で陣取り、細く野性味溢れる黒猫とすれ違い、白、茶、黒に彩られた三毛猫の昼寝姿を見送った。
そうか、これがウミネコか(違う)。
生命の根源と人の営みに感謝を込めながら、また来ますと呟いた。
ぼっち旅行って、最高ですね。
この目で見て、肌で感じて、舌で味わい、音を聴き、匂いを掴み取り、より表現を奥深くしていけたらいいな、と思いました。
ちなみに、去年はサミットが開かれましたけど、当初は賢島サミットと呼ばれていましたが、いつの間にか伊勢志摩サミットとなっていましたね。
わかりますよ。神宮という呼称で表すのは、実は伊勢神宮だけですし(調べました)、世界に誇るお伊勢さんはサミットにおける重要な文化アピールの役割を担ったのでしょう。
そんな中、思ったことがあります。
鳥羽をトバさないで(本日のオチです)。
伊勢鳥羽志摩サミットでは語呂が悪いのでしょうけどね。
そこはかとなく大人の事情を感じた中、今日のところは失礼いたします。