おはようございます。
私、するっと会話に入っていけない意気地なしなので、近況ノートでこっそりひとりごとのやうな私信を。
「ゆうれい」という単語に漢字と意味を与えるやり取りが非常に面白そうだと思って、私も考えてみました。
もしも私が自分なりに「ゆうれい」という音を有形化するなら、それは「遊霊」かなぁと思います。
どうしても「霊」って暗くて悲しい恐ろしいイメージが付きまといがちなんですが、もともとの意味を辿ればそれは「魂」と似通った意味を持っていて、人の精神の形そのものを指す言葉だと思うんですよね。
自我だとか自意識だとか、そういった部分はもちろん無意識的にその人が持つ本質さえ、きっと魂の色だとか形になって現れるんだと思っています。私には見えないけれど、それは千差万別で、もしも目に見えたら私はビルの屋上から行き交う人の魂を日がな一日中眺めて過ごしていたかもしれません。きっと楽しいだろうなぁ。
って、あんまり魂が〜とかなんとか言うとスピリチュアルな趣味を持った人なのかしら、と敬遠されかねないのでそろそろ流しますね。笑
話を戻して。
私はもしも命を終えたときには、「遊霊」になりたいと思います。自由に、自由自在に、遊びまわるの。
ひとところでじっとしてるなんて、まっぴらごめんなので、風に吹かれるような軽さの霊魂になって世界中を見て回りたい。
ときには、傍迷惑でもポルターガイストで木々の騒めきと歌うように踊るように戯れたい。
なるべく写真には写らないようにしたいけど、それは生きている今も変わらないかもしれないです。
それで誰かが私を思い出して、手を合わせてくれたら、すぐに駆けつけて閉じた目の前で揺れるロウソクの火に乗り移ってふよふよと泳ぎたい。
そんな「ゆうれい」になれたら、素敵でしょうね。
でも今はまだこの世界で、生きた体でやりたいことがいっぱいあるので、しばらくそんな夢はお預けかなぁと思います。
だから、もしもこんなひとりごとを最後まで読んでしまった物好きな方がいるとしたら、どうか私の一生にもうしばらくお付き合いいただけると幸いです。
未雲くみ