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「扶桑樹の国」のプロットがネーム(コマ割り)じゃなく、カラーアニメになってしまう。

 この「ジブリか!」と叫びたくなるオールカラー・フルアニメーションで頭の中を動き回る物語を、どう書けってゆうの。海のシーンだけでも言語化なんて不可能。

 アニメなら、かろうじてモノクロ・コミカライズは出来る。(この時落とされる、表現しきれず漏れていくたくさんの素晴らしい動きと、カラー・リリックに悔し泣きしながらです!) 
 
 それでもコミックなら出来る、私の第一言語だから、なんとか使いこなせる。

 でもね、それをさらに第二言語である不慣れな「文章表現」に落とし込むのにいつも四苦八苦。(言葉にできないコマ割りの「間」の感覚を使えない。絵だけの持つ、理屈を超えた“一目で分かる”表現も)

 なのに今回は、アニメ→コミック→ノベライズと、3段階変換をしながらだから、いつもの2倍以上時間かかる。お〜そ~い~!!!

 考えてみたら、山育ちで海なんて全く知らない私に書けるわけない「海人」の世界。なんでこんなもん書こうと思ったの私?

 コレを書くと決めた時「コレは絶対一年じゃ済まない」と直感的に感じてはいた。
 案の定、4月から下調べだけで9ケ月。やっとプロットに入れたのが12月20日。
多分、書き上がるのは早くて2025年末。(地獄の2025年になるのは必須)

 私のバカ!

 なのに物凄く遅いにも関わらず、全く止まらずに続いていく、エピソードの数々。遅いからこそ、どんどん深くなっていく物語の奥行き。

 ひたすら主人公の「気持ち」を追い続ける中に見えてくる、表現のあれこれ。
「コレを書き上げたら、私は今よりもっと上手くなってる」(え! 私まだ書くの?)「間違いなくコレは私の代表作になる」という確信。

『扶桑樹の国』アニメ・エンディング曲『僕の涙、海になれ!』で語られる陸と海の神話を語るおばあちゃんの魂の深淵、この人が扇の要なんです。

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 昔、大地と海は夫婦だった。二人は重なり合い、いつも一緒で幸せだった。
なのに神の命令で、大地は陸になり海と離れる事になった。

 海はそれ以来ずっと悲しんで泣き続け、すっかり塩辛くなってしまった波で陸地を叩いている。行ってしまった夫を、少しでも取り返そうと虚しい力を振るうのだ。

『悲しいことがあるのなら、海で泣くといい。海は悲しいを受け取ってくれる。
そうして「海より僕の方が悲しい」と思うなら、そのまま海にいるといい。
だけど「悲しい」より大切なものがあると思うなら、海から戻っておいで。
チマシュのところに帰っておいで。

お前は、チマシュの終わりの100人になってはいけない。
お前は、始まりの100人になるために生まれて来たんだよ――』

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 第一回で死ぬおばあちゃん(チマシュ族最後の神樹の巫女)の言葉で終わるエンディングが、メインテーマになります。

 主人公は悲しいことがあるたび、(お母さんのいない寂しさ、インディアンとしての差別)涙が枯れるまで海に潜って過ごすようになり、やがて素潜りの達人へと育っていくのです。

 コレは「異世界転移」ではなく、「新たなる神話の創造」ですね。
こんなデカい話になるとは思っても居なかったので、呆然。書けるんだろうか。

 まあ、書いてはみますけど……。


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