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短歌の供養をします④

 短歌の供養四首目です。


④外見が命の優劣つけるからマリモの瓶を振った壊れた


 マリモを育てたことありますか? 私はあります。小さなマリモ2つがちょっとずつ育って大きくなっていくのは楽しかったのですが、ある時1つだけ成長が止まってしまいました。
 ああ、死んじゃったんだなあと気付きました。その時にマリモは動物と違い見た目で生きているか死んでいるかを判断するのは難しいけど、確かに命があって生きてたんだなあ、と思いました。

 短歌の解説というより作者の主観の話になってしまうのですが、この歌の意図を説明します……。
「外見が命の優劣つける」とはマリモなどの植物と、人間などの動物を比べた時、動いて鳴いて生きているのが分かりやすい動物のほうが、命としての価値が上、という気がしてならないんです。例えば火事が起きた時、家から真っ先に連れ出すペットはマリモではなく、犬とか猫だと思うのです。

 そんな「マリモの瓶を振った」のは主体自身が、本当に外見が命の優劣に関係あるのか――つまりマリモが死んでしまった時に自分は人間や犬猫が死んでしまった時と同じくらいに悲しめるのか、を確かめたくてやったことなのです。ちょっとサイコパスみがありますかね? いや大丈夫でしょう。

 そして最後の「壊れた」はマリモを入れて飼っていた瓶が壊れたのかもしれませんし、もしかすると主体の感情というか情緒が壊れてしまったのかもしれません。

 以上です。もしかするとこちらが連作五首の中で一番素直な気持ちで作った歌だったような気がします。

2件のコメント

  • 植物は難しいですよね。生死を判断するのが。
    死んだように見えても種子を残して次の春に芽吹くのが
    植物ですからね。

    まして、藻ではなおさら。
    物によっては茶色くなってもまだ「生きて」いる藻だっています。
    瓶を振って確かめたくなるのも当然でしょう。

    瓶を振ったから壊れたのか、
    壊れているから振って止めを刺したのか。
    そこは微妙な機微を感じるところですね。
  • @fts01様
     共感して読み取っていただけてすごく嬉しいです! 植物は本当に毎日気を配って大切にできないとなかなか育てられないなと感じます。

     生死の重さの判断が付かないからとちょっと傷つけてイジメてやろう、と行動に移す時点で、主体はすでに動物より植物の命を軽んじているんだろうなと思ったりします。
     例えば、静かに寝ている人がいて、寝息が聞こえないから生きてるのか確かめよう、と首の骨が折れるほど揺すぶったりは普通しないはずですから……。

    「壊れているから振って止めを刺す」という解釈、素敵です! 新たな想像が広がります。ありがとうございます!
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