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読まれる覚悟の話

震災や虐待、性的なことなど、リアルにリンクして痛い話……に片足を突っ込みがちなのです。
なぜわざわざそんなことをするのかはわからない。

だから読む方への配慮が必要なんだけど、それもよくわかっていない。
現実的には取材などの実感なんだろうが、その手前の構えや覚悟がないなと思っていたところにぽんぽん丸先生からコメントをいただきました(前回の近況ノート参照)。

コメントをいただき、まず頭の理解としては納得しました。
次に心で受け止めるわけですが、この時の反応というのを私は大切にしています。

その時に思い出したのは、過去に言われたこの言葉。

「鋭すぎるんだよ」

結果的に、今そうでなく済む環境にいて、それが大人になることなんだなと思っていましたが、「私らしさ」だけでいけば、鋭い私の方がより本当の私に近い。

そのベースというのが、「これくらいで死にたくなるなら死んだらいいよ」という怒り。

そうやって揺さぶれば奮起するんじゃないか、という意味じゃなくて、本当に死んだ方がいいと思ってる。

死んでほしくない人には、死んでほしくないってちゃんと言うし。

そういう人間だったのがようやく丸くなったと思ったら……もう一度戻れってコト?(ハチワレ構文)

読者を……信じて……?
ぽんぽん丸先生は大変な悪魔を呼び出したかもしれない……(ぽんぽん丸先生に責任はありませんwww

2件のコメント

  • 小説読んで死ぬ人は読む前にもう死んでいます。小説のせいに見えるだけ。むしろたった1人で死ぬはずだった人に小説を通して寄り添えたのではないでしょうか。なのでそこは悩まなくてもいいですし、自分の作品読んで本当に死んだ人がいるのなら誇るべきです。よく書けてます。死ぬ間際の良い餞別です。むしろキル数カウントして自慢しましょう。

    実際は死ぬ人よりも安心する人の方が多いと思います。映像や音楽は勝手にながれてくることあるけど、読むって絶対に自己主導です。読むは自分ではじめて嫌ならいつでもやめられます。

    で読者は本を選んだ読んでる段階でシンパシーを感じてます。だからきっと安心します。私はそうで小説に書かれた鋭い酷いことって安心するんですよね。同じ意識?同じ深度?の人がいるんだって。1人じゃないって。鋭く心を抉るってなによりそばに立つことです。寄り添うことです。怒りまで抱いて積極的にキルする必要ないかもですが、少し意識を変えて遠慮せず積極的に書くべきです。
  • そう考えられるとは凄いことですね!
    対面の仕事は、やりとりで何かあってもその後の表情や次の日に会ったときの様子で大丈夫そうだな、と確認ができるのが良いと思うんです。
    だからと言って、対面だから全て大丈夫ということは全くなくて。

    逆にぽんぽん丸先生の言う通り、小説を読めるくらいには正気であるってところもありますね。
    すごい角度を教えてくださり、ありがとうございました!
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