音楽やアニメ視聴しながら似顔絵を描くことが作業の集中を捗らせるのだけれど、ここ2日間視聴しているのがアンゴルモア元寇合戦記です。
松浦党海賊の末裔を自認する私としては、この作品は殊に心が昂ぶる作品でした。郷土史を知る者であれば結末は明らかなんですけど、この数日間の戦闘の後で博多市街の戦闘で高麗軍3万が撤退するまでの間、どれほどの絶望が彼らを襲っただろうか。壱岐対馬島民の男は殺され、女子供は服を剥がされ両手に穴を穿たれ綱を通し、船べりに吊るされて朝鮮半島に拉致された。
頑張れば頑張るほどに状況が悪化していくことは良くあることで、どこまで踏み留まれば波が引き潮に転じるのかと絶望するしかない状況だと、かえって感覚が鈍って笑いが込み上げてくることがある。
むしろ「この状況がどれほど悪化していくのか」を楽しむことが唯一の救いであるかのような特殊な状況は、ある一点から改善される場合があり、その「引き潮」を肌で感じるゾクゾクした快感はたまらなくもある。
こういう話をすると、他人からはよほどのマゾヒストであるかのように言われますが、押し寄せる波には「引き潮」があると信じていればこその抵抗で、その波が引く前に抵抗が潰えることもあるのだから、一縷の光明がなければ、そんな状況なんて耐えられるわけがないのかもしれない。
過去仕事で何度か死にかけた事はありますが、その時はまだ正気を保って後輩たちを助けようとする事が出来たけど、この年齢になってまでそんな時に正気を保っていられるかどうか、正直自信がなくなって来ているのが本心です。
我が家の血統は元来『向こう見ずの気○がい』と言われて来ましたが、いざ家族や友達を守らなければならない状況がきたとして、私が鎌倉武士団のように戦陣に立てるのか。若い頃はいざ知らず、分別が多少なりとも付いてきた今の自分は腰抜けになっているかもしれない。
トラファルガル岬沖海戦の戦闘開始前、ネルソンが神に「私が正気を失ってまで生きている事がありませんように、その時は私の命を奪ってくださいますよう」と祈った気持ちがよくわかります。体も小さく、病弱で片腕・隻眼の提督が、自軍より強大な敵艦隊に真っ先に突入する直前の恐怖に押しつぶされそうな心境が読み取れ、私もそうありたいと願っています。