『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』見てきました。
よかった。むっちゃよかった。
艦隊編成とか『ヤマトⅢ』の土門竜介が前倒しで出てるとか、事前情報が怖いのばっかりだったから、どうなるのか心配だったけど、本当に面白かった。大満足。
過去の思い出から現代のSFへと脱皮したとでもいうか、なんというか。……正直今ははっきりと自分の感想を言葉に出来ませんが。
あと、ヤマトシリーズで一番好きなヒロインの行く末が心配で心配で。ただそれだけを確かめなくてはいけないから、怖いの我慢して観にいったので。
もう、『彼女』の無事がわかっただけで。
それだけで、私はこれからも生きていける。
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私がずっと興味を持っている小説のジャンルに『映画のノベライズ』というのがあります。
この公開映画の付属物というか宣伝媒体のような位置づけの儚い出版物には、映像表現として語られた物語を文字表現として語りなおすことで、時として新鮮な驚きを与えてくれる、という一面もあります。
どうみたってコバンザメのやっつけ仕事というのもあるのですが、そこはまあ、どんなジャンルの小説にもあります。
また、書き手や書かれた状況でスタンスや視点、映画との距離感も違って興味深いです。
最近も色々読みました。
面白かったのは福山雅治主演是枝裕和監督による『そして父になる』のノベライズ。あの映画の「どうすんだ。どうなるんだ、これ?」というじりじりした雰囲気の二時間を、小説世界で再現しているという結構すごい本。『万引き家族』もあるんだろうか?
ちょっと古いところでは『機動警察パトレイバー』の映画版のノベライズ。これは1作目が脚本の伊藤和典さんの『風速40メートル』そして2作目のノベライズは押井監督自身による『TOKYO WAR』。パトレイバーのノベルはハズレがありませんが、この二つは特に傑出して面白い。
貴志祐介さんの傑作ホラー『黒い家』には原作小説の他に映画がつくられたときに出版された映画版ノベライズもあったりします。暗くて重くて長い原作が薄くて読みやすくなっています。ホラーから「暗くて重い」をとってどうする?とおっしゃる向きもあるでしょうが、世の中には怖いのがほんとに苦手な人もいるんですよ。――いえ。私の事ではありませんが。ええありませんったらありません。
また、いずれちゃんと紹介したいなあと思っていたのが『小説・料理の鉄人』(全五巻)……あるのよ。これも小説になってるのよ! しかも全五巻。なんだ「全五巻」って!あれのどこに長編小説になる要素があるの!
……ああ、ほんとに料理の鉄人だ。小説なのに。
そして、たとえば、実写版るろ剣のノベライズ。
漫画とアニメの記憶が混ざってわからなくなりかけていたので整理のために読みました。
いろんな派生作品が多い原作の最新映画化というのは、見る前にまず自分の記憶の整理をしたくなるのです。
そして、ファイナルとビギニングを読み終えた後で思いました。
「うん。この剣心は佐藤健だわ」
そんな読後感を抱くほどに映画るろ剣でした。
『JUMP jBOOKS』の以前の本みたいに、『るろ剣』の小説化はすでにあるわけです。
でも漫画やアニメを足場に作られた小説と、映画を経由した小説では設定が違うのは勿論、小説自体の雰囲気や力の入り方というか推進力の方向性が変わってきます。
ジャンプノベルは「ジャンプのコミックを文章にして、且つ漫画で語れなかった部分を語る」というのが今も昔も基本線。公式二次というと言いすぎですが漫画を読んで楽しんだ人が拡張された世界をさらに楽しむための媒体です。
では実写映画るろ剣のノベライズはどんなスタンスだったのかといえば、あたりまえですが
「映画のセリフと演技の間を、登場人物の心情と行動理由を説明する」
ことに徹していました。
映画のノベライズはこうあるべきという基本の作り方です。
これこそ映画のノベライズの存在意義でもありますが、同時に文学作品として一段低く見られる原因でもあります。
もちろんそれは承知の上で、映画のノベライズは自身の役割を果たすべくそのように作られているわけで、それ故にこそ、曖昧を許さず明解な文脈で、映画が映像作品である故に伝えられない、たとえば登場人物の胸の内(と脚本や監督が意図している情報)を補完しています。
「映画から読み取るべきもの敢えて文字にする」という此の行為じたいを「野暮だ」と切り捨てることもできるでしょうけれど、たとえば、抜刀斎時代の剣心を桂小五郎や幾松どんな気持ちで見守っていたのかなんてあたりは、改めて文章にしてあるとちょっと違った感じがしてくるものです。
あるいは雪代縁の怒りの前に、倒れることなく立ち続ける緋村剣心の覚悟。
小説中に明文化された「心境」こそはこの映画を作った人たちの共通認識です。
原作が伝えようとしたテーマであり、映画化にあたって監督や脚本が汲み上げたものであり、主演の佐藤健氏が緋村剣心を演じるにあたって受け取ったメッセージです。
それを答え合わせをするように
「ああ、やっぱりここ伝えようって、作ったんだろうなあ」
と原作を思い出し、また映画を思い出しながら読み返す。
これが私が映像化作品のノベライズを読む時の楽しみの一つです。
肉体をもつ役者が演じることを前提とした脚本。それを下敷きとして原作漫画とすり合わせながら作られたであろうノベライズ。
その条件下で徹頭徹尾、映画を言語化するという方針にエネルギーを振り切った、非常に再現性の高い、映画るろ剣の小説化作品でした。
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と、そんな旅路の果てに。私は別の文章で紹介しているウィリアム・コツウィンクルの『E.T. 』に出会えたりするのですが。
その「旅」の出発点がソノラマ文庫の富野喜幸著『機動戦士ガンダム』、そしてコバルトから出ていた『ヤマトよ永遠に』(若桜木虔著)でした。
そうなのです。私のヤマト体験はコバルト文庫のノベライズから始まったのです。
しかも「永遠に」から。
ヤマトの映像作品の方は、それこそテレビで再放送した順番だったりして、けっこう無茶苦茶だったりするのですが、小説の方は全部揃えて順番に読み直したりしました。
遊星爆弾で全世界が荒廃する中、全人類を救う船を建造したのが何故日本だったのか、冥王星会戦でガミラスを迎え撃つ連合宇宙軍の主力が何故に日本の戦艦群だったのかについて、少し説明があったりするあたりで
「そうだったのか」
と子供心に納得したのも良い思い出。
そんなわけで「新たなる旅立ち」は大事なんです。
はっきり言って、私のヤマトはここから始まるといっていい!
絶対に誰も割り込めないと、ヤマトの物語を知る全てのファンが認識を等しくする、古代進と森雪の間に、ただ一人踏み込みかけた『彼女』。
2199から十年。やっと待ち望んでいた彼女の物語がリブートされると思うだけで、万感胸に迫ります。
よくぞここまでたどり着いてくれた!
……でも、なんで私はこんなにも、報われないヒロインにばっかり惚れるんだろうか?