最近、というかここ2.3年のところ読書の習慣からかなり離れてきたような気がして、なんだか寂しい。ということで読書のマンネリを打破するために読んだものに思ったことをここに書いていくことにします。
ということでまずは中島らものエッセイ集『アマニタ・パンセリナ』(1999)。
これは実家の父の本棚から拝借してきたもので、ブックオフの108円のシールが貼られていました。まあまあ状態は良かったんですが、僕が鞄の中に入れっぱなしにしたり、窓際において結露でべたべたにしたりしたせいで、読めなくはないがかなりエグいことになっています。
表紙はヘンゼルとグレーテル的な少年と少女が可愛く描かれていますが、よく見ると、幻覚キノコや錠剤、その他麻薬としての素質のある草花などが散らばって描かれていて、一目見て、「ああこれはなんか含みのある本だな」とわかります。
このエッセイ集ではアル中でおなじみの作家中島らもがシャブ、大麻、有機溶剤といったおなじみの薬物から、ガマ(かえるのガマ)、毒キノコ、幻覚サボテンなど変わり種のアイテムまで、古今東西さまざまの薬物について語っています。
中島らもが経験したものもあれば、していないものもあるわけですが、中島としてはわりと一貫して、トリップ体験は体験それ自体としての意味しかなく、いかに言語化しようとも本質を突くことはない、ただし詩は別として。みたいなことを言っていて、語るくらいまず自分でためさないかん、くらいの勢いでなかなか面白いです。実際、各種薬物を違法合法を問わず経験する中島ですが、それぞれのトピックになかなか愉快だったり悲しかったりするエピソードがまつわるわけでいい。謎のサボテンを喰って体を体調を崩したり、大麻をキメて崖から車ごと落ちかけたりします。
「中島はバリバリの薬物肯定派なんだろうな~」と思うわけですが、意外とこれがそうでもない。
「ドラッグに関する文章をこうして綴っているが、僕はドラッグには貴賤があると、と思っている。」
と中島はしています。中島は自身がどっぷりとつかった咳止めシロップやアルコールといったドラッグにかなりの紙幅を割いて語っていますが、敵意を明らかにして語るのはシャブ、覚醒剤についてです。
「『人間やめたい』人だけがシャブを射てばいいのであって、『人間やってる』割には危機感のない無知なおばさんたちがシャブ中にされてヤクザの資金源になっているというのは無残に過ぎる。『ジャンキー内差別』を、あえてシャブに対して試みたのは、この辺、吐き気がしたからだ。」
と、なかなか強烈な言葉をシャブに向けて吐いている。しかし、中島が憎んでいるのはシャブそのものではなく、シャブというものの社会でのありかたです。彼は次のようにもしています。
「加えて言えば、ドラッグとは、シャブも含めて、ただの物質である。ただの物質に貴い物質もいやしい物質もない。個人、および社会との関係がドラッグの性格を決めるだけだ。」
ドラッグの是非をここで語るつもりはないのでどうとも言いませんが、中島の言い分はなかなかイケてます。
最後に『アマニタ・パンセリナ』からもっともエモいエピソードを引用します。ドラッグマニアのロック青年「カドくん」と中島一家が同居していた時の話です。「カドくん」は中島が『アマニタ・パンセリナ』を書き始める前年に、すい臓炎で孤独死したそうです。
***
ある日、目が覚めて階下におりていくと、カドくんが注射を射っていた。
「何してるんや」
「ドリデン(睡眠薬)をね、粉にして水に溶かして射ってみてるんだよ」
僕は一瞬、考え込んだ。
「それ、クラいな」
「え。うん。クラいね。そうだよね」
カドくんは、注射器を置いて、泣きそうな顔で笑った。
それから僕たちは録音を始めた。とりあえず、注射器よりおもしろいものを揃える必要はあった。
***
【文庫版35p】