ある日の仕事帰り、最寄り駅の前でビラを配っている方が目に付きました。
その方は明るく、笑顔で、道行く人に熱心になにかを勧めています。どんなに無視されても、明らかに鬱陶しそうな顔をされても、払いのけられてビラがバラバラと地面に散らばっても、めげることなくまた差し出します。多分、宗教関係の人でしょう。
どうしてあんなにも迷い無く勧誘ができるのでしょうか。あいにく私の周りにはそういったたぐいの活動をされている方はおりませんので、真相は謎のままです。
ただ、一つ言えるのは彼らはそのビラに書いてあることが素晴らしいものだと、意義のあるものだと、誰かのためになると信じて疑っていないということです。
例えば私が駅の前に立って、自分で作った小説を配ったとして。彼らほど自信を持って人に勧めることができるでしょうか。
それが仮に自分にとって最高傑作で、売られているどの小説よりも優れていると思えるほどの出来だったとして。爛々とした瞳で道行く人に自作を押しつけることができるでしょうか。
多分、できません。通り過ぎる人々が気づかないくらいにそっと差し出して、無視されるのが関の山です。
それが遠慮がちな性格からなのか、自信のなさからなのか、裏返しのプライドからなのか判別できませんが、「できない」ということだけはわかります。
行き交う人々と、街の喧噪の中、大量の自作を抱えたまま、途方に暮れる自分。
「面白いかどうかわからないんですが……」自信なく差し出される作者未詳の文章は、教祖様のお言葉よりも得体の知れない代物でしょう。
そんなものを受け取ってくれるひとはどれだけいるでしょうか。
そのうち何人読んでくれるでしょうか。
まして、感想をくださる人などいるのでしょうか。
何がいいたいかというと。
それだけ私にとって感想は「有り難い」ものなのだということです。
本当に、感謝してもしきれません。
ありがとうございます。これからも頑張ります。