早いもので、|蒼魔《アイツ》がいなくなってから、もう4年が経過していた。アカデミーを卒業した僕は、今や立派な大学生だ。何処の大学に進学したのかは伏せるけれど、そこそこ頭が良くないと入れない学校だって事は伝えておこう。
で、一緒に通っているのは相葉と紅羽だ。
神崎は仏蘭西留学だってさ。日本を出て、見識を深めたいんだと。東雲も似た様な感じかな。進学はしてないんだけど、国際ボランティア団体に所属して、A組の草薙と一緒に世界各地の魔種混交を支援しているみたいだね。
通天閣は、本格的にプロデビューを果たしていた。インディーズバンドの"Gehenna"は、プロシーンで活躍する売れっ子だ。最近ではアニメとタイアップしてOPソングとかも歌ってたなぁ。
幽蘭亭は家業を継いだらしい。山奥に引っ込んじゃったから良くは知らないけれど、今も陰陽師として活動を続けてるみたいだよ。
我道も実家の武術道場を継いだらしいし、進学せずに家の後取りとなった生徒は少なくはない。
僕だって、一応は石瑠家の当主なんだし、わざわざ大学に行かなくても良かったんだけどね。
紅羽の奴が、こう言ったのだ。
「――いずれ、武家出身なんて肩書きは社会では何の役にも立たなくなるわよ。だったら、限られた時間で勉強した方が有意義じゃない?」
「え? じゃ、じゃあ、進学するってこと……?」
「えぇ、勿論! 狙うは○△大学よ!」
「お、おぅふ……」
「アンタはどうするのよ?」
「僕は……僕も……大学に……」
「え、なに?」
「――う、うるさいうるさい!! 僕の進路なんてどうでもいいだろう!? 今に見てろよ紅羽!? 絶対にお前の鼻を明かしてやるからなぁぁぁ!?」
「な、何なのよ……!? まぁ、良いけど……」
――そんなこんなで、大して頭の良くなかった僕は、メイドの力を借りたり、成績優秀な神崎に家庭教師を頼んだりして、何とか紅羽と一緒の大学に滑り込む事が出来たんだ。
本当、アレは地獄だったなぁ……?
試験勉強なんて、もう二度としたくない……。
現在は大学の2年生だ。
ちなみに、紅羽の奴はテニスサークルに所属している。また男を漁るつもりか……? 一応相葉の奴も同じサークルだから、悪い虫が付かないよう、紅羽を見張って貰っている。
その"相葉"は、心配要らないのかって?
――大丈夫。
アイツには、付き合ってる彼女がいるからね?
元A組の級長・御子神千夜。アイツ、マジで上手い事やったよなぁ……? 御子神自身は家を継いだから進学はしていないんだけど、休みの日は二人でデートなんかしちゃってるらしいぞ。
多分、もう童貞じゃない……相葉は一足先に大人になったんだ……血涙を流す程の嫉妬を奴に抱くが、僕だって、負けたままではいられないッ!!
「紅羽と一発ヤッてやるぅぅぅぅぅッ!!」
高らかに叫ぶ僕。
石瑠翔真、脱童貞大作戦。
そう、計画は既に始まっているのだ――
◆
都心よりも外にある、超有名遊園地・デスティニーランド。その噴水エリアで、僕は一人貧乏揺すりをしながら、待ち人を待っていた。
「お、遅い……!」
時刻は10時半。
待ち合わせの時間は10時と言っていたのに、何処で道草を食ってるんだ、アイツは!?
遊園地の客の殆どは子連れかカップルかのどちらかだった。一人で佇んでいる奴なんて僕しかいない。――あ、いや。僅かに遊園地オタクみたいな連中が、アトラクションを一人で回っているのを目撃していたけれど、明らかに僕とは毛色が違うだろう。被害妄想かも知れないが、周囲からは浮いている様に思えてしまう。
「なにやってんだよ、紅羽の奴ぅぅぅ!?」
まさか、ドタキャンなんてしないよな!?
クリスマスの日に、デスティニーランドでデートをしようっ! そう切り出した僕に「でも私、その日は先約が……」とか、ふざけた事を言い出したので、足に縋り付き「断れ!! 断れよぉぉぉ!? 僕の用事を優先しろやぁぁぁ!?」と、血涙を流しながら叫んだのは記憶に新しい。
まさか、あれほどの形相で頼み込んだデートを反故にする奴じゃあ、無いだろう。
多分。きっと……恐らく。
内心で心配をしていると――だ。
「――ごめん!! 待たせた!?」
噂の紅羽がやって来た様だ。30分の遅刻である。文句の一つも言ってやろうと、アイツの方へと振り向いた時。僕は大人っぽく着飾った紅羽の服装に目を奪われてしまう。
普段とは違う、紅羽か……そう言えば、紅羽と二人きりで出掛けるのは何年振りだろう?
僕は知らずに、緊張をしていた。
「……どうしたの、翔真?」
「あ、いや、その……」
「?」
「服……似合ってるじゃん……」
「――あぁ、これ? サークルの皆と飲みに行く時は、いつもこんな格好をしてるんだけど……褒めてくれて、ありがとう」
「サークル……いつも……?」
「そういう翔真は珍しい格好をしてるわね? スーツなんか着て、ビシッと決めちゃって、どうしたの?」
「べべべ、別に良いだろうそんなのッ!? それよりも、ははは、早く行くぞ!! お前の所為で30分遅れちゃったんだからな!?」
「はいはい、分かったわよ」
「く、くそぉ……」
変に意識した僕が馬鹿みたいじゃないか。
ま、まぁ良い。
デートは始まったばかりだしな。
「それじゃあ、最初はファンタズムランドに行こうか? クリスマスバージョンのゴーストマンションがおすすめさ!」
全部、カタログの受け売りだけどね。今日の日の為に、僕は色々と予習をしてきたんだ。
抜かりはない……!!
だと言うのに――!!
「え? 昼間からゴーストマンション? それならまず、フォレストクルーズに行きましょうよ。一回りしたらお昼も近くなるし、『美女と美形』の酒場でご飯を食べましょう?」
「え……?」
「それとも、何か都合が悪かったり?」
「いや……別に何もないけど……」
「そう。じゃあ、決まりね!」
「……付かぬ事を聞くんだが、紅羽お前、最近デスティニーランドに遊びに来た?」
「最近というか……まぁ、しょっちゅう? 友達と一緒に遊びに来たりはしてるわね?」
「……」
僕は、子供の頃以外、来た事が無いのに……。
「どうかしたの、翔真?」
「い、いや、何でも!! それじゃあ、さっさとその"ふぉれしとくるーず"に行こうじゃないか!? 道順は任せたからな!?」
「はいはい、任せておきなさいな」
……完全に、主導権を握られてしまった。
こんな筈じゃ無かったのに……!!
それからも、紅羽は僕の知らない事を数々と教えてくれた。その度に僕の自尊心は大いに傷付いていたが、意地とプライドに賭けて、何でもないフリを続けている。
デスティニーランドは楽しかった……!!
でも、僕にとっては未知の事でも、紅羽は既に何処の馬の骨とも知れない奴と経験してたんだよなぁ……!? その事実が! 素直にアトラクションを楽しめなかった原因だろう。狭量だとか。器が小さいだとか、言いたい奴は言えば良い。だけど僕は気にするタイプなんだ!! でもって、そんな目に遭いながらも、目の前の尻軽ビッチが好きなんだよなぁ……!?
情けない、情けない、情けない!!
情けないが――しかしっっ!!
「――紅羽ッ!!」
「……? どうしたの、翔真?」
日も落ちた頃合いだ。ライトアップされたデスティニー城を背景に、僕は紅羽を呼び止める。
「実はな……? その……今日は……ホ、ホテルを取っていて……!! 日帰りじゃ、無いんだ……!!」
「え?」
「だから、その……!!」
紅羽の奴は、何の事だか分からないと言った顔を浮かべている。まぁ、アイツからしたら寝耳に水だろう。だけど僕も真剣だ。この機を逃す訳にはいかなかった!! 石瑠翔真、一世一代の大勝負!! とくと見ろやぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
「頼むぅぅぅぅぅぅぅぅッ!! 一発ヤラしてくれやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!お前しか、お前しかいないんだよぉぉぉぉぉぉんッ!?」
「はぁぁぁ!?」
僕の叫びに、紅羽は心底驚いた表情を見せる。
まだだ!! まだ攻める!!
此処で攻撃の手を緩めたら、僕は負ける!!
攻めるんだぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!
「この通りだぁぁぁぁぁぁぁッ!! 紅羽ぁぁぁぁ!! 紅羽様ぁぁぁぁぁぁ!! 頼むから僕を男にしてくれやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「ッ!?」
紅羽の足元にジャンピング土下座をする僕。戸惑うアイツの息遣いが聞こえたが、僕は絶対に頭を上げたりなんてしない!! 約束を取り付けるまでは……絶対にだッ!!
「な、何言ってんのよ、アンタ、こんな場所で……頭おかしいんじゃないの!?」
「笑いたきゃ笑え!! 僕は本気だ!!」
「……ッ! だ、大体……何よその『男にしてくれ』って。それだったら、何も私に頼まなくたって良いじゃない。ほら、他の女の子とか――」
「皆、皆振られたんだよぉぉぉぉッ!!」
「へ?」
「紅羽を対を成すビッチの東雲なら、ワンチャン……って思ったけど!! 『うーん……無いかなー』って、明るく言われて振られたんだ!!」
「アンタ……」
他にも、様々な女にアタックしてみた!!
紅羽が処女じゃないのに。
僕が童貞なんて許せない!!
何とかしてこの忌まわしい呪いを解呪してやると息巻いていたのだが――!!
神崎には「すまん」と断られ。幽蘭亭には「幾ら積まれても無理やな」と、袖にされ、我道には「……潰して良いか?」と凄まれた!!
武者小路との関係は改善されず、師匠呼びしてくれていた菊田は「翔真さん」呼びに直ってしまった!! 藁にも縋る気持ちで道明寺にアタックしたが、人体改造されそうだったから僕の方が逃げ出した!! 宇津巳に迫ったら文字坂と結託して僕を全裸で教室に放置しやがったし!! なーにが『反省してね!』だ!! やらせもしない女が偉そうにしやがってよぉぉぉ!?
1年生も2年生も3年生も駄目だった!!
仕方がなく年増の影山で我慢しようとしたら、延々と説教なんかされちゃったし! もう実姉でも良くね? と、姉さんに迫ったらはっ倒された! 妹の麗亜はメイドがガードしやがったし、なら「お前らが僕の相手をしろよ!」と迫ったら、奴等、箒で僕の事をボコボコにして来やがった!!
くそ、何なんだよ畜生――!!
蒼魔は良くて、何で僕は駄目なんだぁぁぁ!?
世の不条理を感じるねッ!?
だからさ。
結局さぁ――!!
「お前しかいないんだよ、紅羽ぁぁぁぁぁ!!」
「……いや、私に頼らなくても、お店とか行けば良いじゃない? 風俗? とか、良く分からないけど」
「商売女じゃねぇか!? ふざけるな!! 僕だって相手を選ぶ権利があるんだぞッ!?」
「えぇ……? 絶対アンタの方がふざけてるし……」
「――初めては素人が良いのぉぉぉッ!! 分かれよ、僕のこの気持ち!! じゃないと、お前と対等になれないだろうッ!?」
「対等って……別に、経験の有る無しで、そんなの変わらないでしょう? 何を言ってるのよ?」
「はいでたー! 正論ぶってるけど全然正論じゃないその論法!! そんなの変わらない……? 非処女側がそんなの言ってもなぁ!? 全く説得力が無いんだよぉぉぉ!! 滲み出る優越感!! 僕はそれを嫌悪するぅぅぅ!! 断じて許せんッ!!」
「……はぁ」
「ちょっ!? 疲れるな!? 相手しろよこの!」
「だって面倒なんだもん……ロマンチックの欠片も無いし。アンタ、そんなんだからモテないのよ」
「うぐッ!?」
「――ま、これに懲りたらもっと上手に女の子を誘う事ね? それじゃあ、私はこれで――」
「ま、待って!!」
帰ろうとする紅羽の足を、僕は捕まえる。
「ちょ!? ――な、何するのよ!?」
「頼む! 頼むよ紅羽!! 一発……一発……!!」
「――ッ! アンタねぇっ!?」
「――好きなんだッ!!」
「!!」
「愛してるんだよぉ……本当に、本当にこの気持ちは本気なんだぁ……僕は、僕は天邪鬼だから、自分の気持ちを正直に伝える事が苦手だ!! 生来のプライドの高さもある!! だけど、紅羽への想いは――この気持ちだけは本気なんだよぉぉぉぉ!」
「――」
「好きだ、紅羽……あ、愛してる……ッ!!」
「……はぁ」
絞り出す僕の声を聞きながら、紅羽は僅かに溜息を溢した。
足を上げ、僕の拘束を外す紅羽。
駄目、だったか――
伝わらなかったか――
それとも、伝わった上で、嫌だったか――
僕が地面に倒れて項垂れていると。
紅羽が、僕の顔を持ち上げた。
直後――
「――ん」
「――」
紅羽は、僕にキスをした。
長い。長い接吻だった。
これまでの時間を取り戻す様に――
「――ホテル、行くわよ?」
「は、はい……」
困惑する僕に向かって、頬を紅潮させた紅羽が男らしく言い放つ。これでは立場が逆転している。けれど、これで良いのかも知れない。これが僕達の形なんだ。嘘偽りの無い、愛のカタチ――
「クリスマスか――」
先を行く紅羽が、何気なく呟いた。
「何だか、少し思い出すわね」
「あぁ――」
蒼魔の事か。
アイツ、結局戻って来なかったな。
まだ、諦めてはいないけれど。
それでも時間は経過する。
記憶もまた、薄れて行く――
その事が少し、寂しかった。
「まるで、夢みたいだったよな……? 並行世界の僕。石動蒼魔とABYSSでの冒険……」
「神宮寺秋斗と、世界の崩壊……でも、アレは確実にあった事なのよ。じゃなきゃあ、私達が今こうしているなんて考えられないでしょう?」
「……まぁ、そうなのかもね……?」
そこは否定して欲しくなかったけれど……まぁ、皆と仲良くなれたのはアイツの力が大きいしね。
「石動蒼魔……そして、ABYSSか――」
僕が、呟いた時だ。
――突如、雷鳴が轟いた。
『――なッ!?』
辺り一体を白く染め上げた雷。同時に地震や嵐も起こっていただろう。僕は反射的に紅羽の身体を支えて、天を仰いだ。
そこで、見たものは――
「何よ!? 一体何が――!?」
「……」
「……翔真!?」
「アビス、だ……」
「え!?」
天高く聳える"漆黒"の塔。
ソレは紛れも無くABYSSであった。
突然の事態に気が動転する僕達。
しかし、事はそれだけに収まらなかった。
「キャぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「何だ一体!? 化物がッ!!」
「誰か!! 誰か助けてェェェェェェッ!!」
デスティニーランドの客達が、漆黒の獣に襲われていた。四足の脚を持つ狼の様な個体。だが、その目は無数に存在している。明らかに通常の動物なんかじゃない。
まさか――魔物か?
「どうしてこんな事が――!?」
「分からない!! 分からないけど――!!」
今は逃げなきゃ――!!
僕達にはもう、戦う力は存在しない。
「お父さん!! お母さぁぁぁぁん!!」
「――子供がッ!」
襲われる客達の中に、紅羽は幼い子供を発見する。僕が止める暇も無く、紅羽の奴は叫ぶ子供の元へと駆け出していた。
「馬鹿、紅羽ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
襲い掛かる獣の爪が、子供を抱えた紅羽の元へと殺到する。
間に合わない――!!
絶望した、その時だ――
「――マキシ、マイザァァァァァ――ッ!!」
『――』
――声が、聞こえた。
酷く懐かしいその声は、最悪な結果を目の前で覆した。迸る蒼い閃光により、周囲に居た漆黒の獣は、その悉くが肉体を消滅させる。
『――奇跡が、起こると良いよなぁ……!!』
あぁ――
そうか――
「これが――奇跡かよぉッ!!」
気が付けば僕は、涙を流していた。
呆然とする紅羽。
ヒーローみたいに現れやがって――!!
そしてアイツは、こう言うんだ。
「……おっす。――ただいま」
と――
再び現れたABYSS。
世界を狙う、新手の"超越者"の出現。
復活した、石動蒼魔。
でもこれは、またのお話だ。
物語は続いて行く――
今も、ずっと。
アイツが、諦めない限り――