まだ執筆していない要素も含む話なので、だいぶ婉曲な文章になってしまうのですが。
「Rainbow Noise」も「霊域機動隊」も、人生の終わりに対する感情が根っこにあります。
何かを好きになるほど、傷つく可能性が広がること。傷ついても、生きていくこと。
誰かと出会えば、いずれ会えなくなること。会えなくても、生きていくこと。
いずれは自分の番が来ること。
生きていく理由はこんなにあるんだって確かめるように、人と人の間に生まれる喜びを描いて。叶わなくても残る尊さはあると勇気づけるように、選ばれない側を描いて。
誰と会えなくなっても、誰かが理不尽に奪われても、その人からもらった幸せは力になるって言い聞かせるように、永訣を描いて。
それもこれも、うっかり死にたくならないためで。
同時に。もし自分の終わりが突然来たのなら、せめて残った言葉や感情が誰かの心に作用してほしいのです。誰かに残るならと思えば、少なからず心は軽くなるのです。
そうやって、明日を捨てることなく、明日を怖がりすぎることもなく、ちゃんと前を向ける心であるために、こんな小説を書いている気がします。
自分が受け取ってきた作品ほどの力が、自分の作品にあるとは思いませんが。
少なくとも僕は、今日も彼らに支えられています。その力の何千分の一でも、あなたの心に届いていたらと、少しだけ期待しています。
……というふうに、不穏な言葉が並びましたが。普段の僕は割と元気に、というより呑気に、「やっぱ君らほんと可愛いな」と妄想を繰り返しているだけなので、どうかご心配なさらず。
とはいえ今日ばかりは、根っこを意識せざるを得なかったもので。
どうか皆さん、心身ともに、健やかであってくださいね。