昔は体育の日と言えば10月10日が祝日で固定だったんですけどね。
ハッピーマンデーとか言う日本中の観光地や高速道路や電車も飛行機も激混みで、宿も娯楽施設も割高になるという、クソみたいな法案のせいで第二月曜になったわけで。
私のような旅好きには、本当にうんざりとする結果なんですけど。
ちょうど思い返すと3年前の体育の日。母親の命日なんですね。
私は折も折、台風がやってきて現場が大混乱ということで深夜まで各地を巡回したあと、数時間の仮眠を経て翌日また会社に向かいました。
既に母の容態がかなり怪しくてアレな状態だったんですが。
寝不足と疲労で身心ともヘトヘトだった私は、その日は自宅に帰りました。
その晩は妹が病院に泊まり込むと聞いて「ぼちぼちヤバいな」とは察しましたけど。
とりあえず帰宅して、見舞いは体育の日の月曜に行こうと決めていました。
でもその未明ですね。妹から連絡が入ったのは。
厳密な意味での「看取り」には間に合いませんでした。
でもせめて最期の区切りは家族が全員そろってからということで、既に事切れた母の肉体を前に家族が集まってから医師が死亡診断してくれました。
深夜3時半のことでしたね。
長編もそうだけど、私の短編は大半が人の死を連想させる作品を書いている。
人の死って身近であり、とても怖いものだけど、それが「忌み」や「穢れ」でなくなったのは母の死があるのかな、と思う訳ですが。
まだ自分の死を迎えるには超越できない恐怖というのは素直にありますし、やっぱり近しい人の死っていうのは嫌なものですけどね。
なので私は作品の中でも常に「死」について自問自答して、「死」とはなんぞや?と考え続けるわけです。
そんな短編を今日も書いてしまったのでした。