コロナがまだ良く分からないウィルスだった2020年の春もこんな気持ちだったな。
人はいつか亡くなるし、自分もまたいつか死ぬ生き物。
そう頭では理解しているはずなのに、やっぱテレビで観てた人の訃報って影響力が大きい。
正直しんどい。
母が亡くなってから、作品に死を意識させるものが多くなった気がする。
短編もそうだし、公募用の長編もそう。
人間の今を生きるという在り方、未知のその先、そして残された者、逝く者。
どれだけ文字にしても頭で考えてても、決して辿り着けないし我々には知り得ない。
だから恐れるしかないのか。
死は穢れなのか。
個人の最期は常に肯定されるべきではないのか。
それを忌み嫌うと、その人の生前まで否定することにならないか。
これまた自分の無力感や徒労感を増長させて非常にくるしい。
エッセイでもノンフィクション系でも、それをリアルに文字にできる心の強さ、己と向き合う真摯な方は尊敬に値する。
自分はなんとなしに現実というものを茶化す。
諦観とも言えるし、意識せざるを得ない物をぼかしておきたい心境でもある。
敢えて茶化した「死」や「困った現実」を作中に置くことで、これはフィクションだから、とリアルから逃げて自分を守るという想いでもあるのかな、ってなことを感じます。